「昔からの俳論は皆俳諧の中にいて内側からばかり俳諧を見たものである。近ごろのでもだいたいそうである。しかし外側から見た研究も必要である。この意味で野口米次郎《のぐちよねじろう》氏の芭蕉観にも有益な暗示がある。それよりも広いあらゆる日本の芸道の世界を背景とした俳諧の研究も将来望ましいものの一つである。西川一草亭《にしかわいっそうてい》の花道に関する講話の中に、投げ入れの生花がやはり元禄《げんろく》に始まったという事を発見しておもしろいと思った。生花はもちろん茶道、造園、能楽、画道、書道等に関する雑書も俳諧の研究には必要であると思う。たとえば世阿弥《ぜあみ》の「花伝書」や「申楽談義《さるがくだんぎ》」などを見てもずいぶんおもしろいいろいろのものが発見さるるようである。日本人でゲーテやシェークスピアの研究もおもしろいが、しかし、ドイツ人がゲーテを研究したように、芭蕉その他の哲人を研究しなければ、日本人はやはりドイツ人と肩を並べる資格をもたないであろう。
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[#地から3字上げ](昭和七年十一月、俳句講座)
底本:「寺田寅彦随筆集 第三巻」岩波文庫、岩波書店
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