蜻閧ヘ言葉の意味の上からは物語的には発展されないが、連想活動の勢力としてはどこまでも展開されて行く。また発句から脇《わき》と第三句に至るまでを一つの運動の主題と見ることもでき、表六句をそう見ることもできる。すなわち三句に百韻千句のはたらきがあり、表の内に一巻の姿をこめることもできるのである。
連俳の特色はそれが多数の作者の共同制作となりうることである。漢詩の連句もそうであるがこれはむしろ多数が合して一人となるのが理想であるらしく見える。しかし俳諧連句では、いろいろの個性が交響楽を織り出すところに妙味がある。七部集の連句がおもしろいのは、それぞれ特色を異にした名手が参加している上に、一代の名匠が指揮棒をふるっているためである。蕪村《ぶそん》七部集が艶麗《えんれい》豪華なようで全体としてなんとなく単調でさびしいのは、吹奏楽器の音色の変化に乏しいためと思われる。芭蕉の名匠であったゆえんは極端から極端までちがった個性の特長を正当に認識して活躍させた点にあるので、統率者の死後これらが四散しけんかを始めたのはやはり個性のはなはだしい相違から来るのである。
この共同制作が可能であり、また共同によ
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