カする音色にほかならないのである。古人が曲輪《くるわ》の内より取り合わせるか、外よりするかということを問題にしているのはやはりここの問題に関したものであると思われる。また付け合わせに関して「浅きより深きに入り深きより浅きにもどるべし」と言われているのもやはり同じ問題に触れるところがあるように思われるのである。「俳諧はその物その事をあまりいわずただ傍《かたわら》をつまみあげてその響きをもって人の心をさそう」のである。
 この潜在意識によるモンタージュの方法は連俳において最も顕著に有効に駆使せられる。連句付け合わせの付け心は薄月夜に梅のにおえるごとくあるべしというのはまさにこれをさすのである。におい、響き、移り、おもかげ、位、景色などというのも畢竟《ひっきょう》はこの潜在的連想の動態の種々相による分類であるに過ぎないと思われる。これらの方法によって「無心のものを有心にしなして造化に魂を入れる事」が可能になるのである。
 常に俳諧に親しんでその潜在意識的連想の活動に慣らされたものから見ると、たとえば定家《ていか》や西行《さいぎょう》の短歌の多数のものによって刺激される連想はあまりに顕在的であ
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