俳諧の本質的概論
寺田寅彦
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)瀰漫《びまん》している。
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)朝顔の一|鉢《はち》を
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)幽玄でなく[#「なく」に傍点]、
〔〕:アクセント分解された欧文をかこむ
(例)仏人ルネ・モーブラン(〔Rene' Maublanc〕)が
アクセント分解についての詳細は下記URLを参照してください
http://aozora.gr.jp/accent_separation.html
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古い昔から日本民族に固有な、五と七との音数律による詩形の一系統がある。これが記紀の時代に現われて以来今日に至るまで短歌俳句はもちろん各種の歌謡民謡にまでも瀰漫《びまん》している。この大きな体系の中に古今を通じて画然と一つの大きな線を引いているものが三十一字の短歌である。その線の途中から枝分かれをして連歌が生じ、それからまた枝が出て俳諧《はいかい》連句《れんく》が生じた。発句すなわち今の俳句はやはり連歌時代からこれらの枝の節々を飾る花実のごときものであった。後に俳諧から分岐した雑俳の枝頭には川柳が芽を吹いた。
連歌から俳諧への流路には幾多の複雑な曲折があったようである。優雅と滑稽《こっけい》、貴族的なものと平民的なものとの不規則に週期的な消長角逐があった。それが貞門《ていもん》談林《だんりん》を経て芭蕉《ばしょう》という一つの大きな淵《ふち》に合流し融合した観がある。この合流点を通った後に俳諧は再び四方に分散していくつもの別々の細流に分かれたようにも思われる。
一方において記紀万葉以来の詩に現われた民族的国民的に固有な人世観世界観の変遷を追跡して行くと、無垢《むく》な原始的な祖先日本人の思想が外来の宗教や哲学の影響を受けて漸々に変わって行く様子がうかがわれるのであるが、この方面から見ても蕉門俳諧の完成期における作品の中には神儒仏はもちろん、老荘に至るまでのあらゆる思想がことごとく融合して一団となっているように見える。そうして、儒家は儒になずみ仏徒は仏にこだわっている間に、門外の俳人たちはこれらのどれにもすがりつかないでしかもあらゆるものを取り込み消化してそのエッセンスを固有日本人の財産にしてしまったように見える。すなわち
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