民族の過去の精神生活のほとんど全部がコンデンスされエキストラクトされている。これが外国人に俳句のわからない理由であると同時に日本だけに俳句が存在しまた存在しなければならなかった理由である。同じ理由から俳句を研究することは日本人を研究することであり、俳句を修業することは日本人らしい日本人になるために、必要でないまでも最も有効な教程であり方法である。これは一見誇大な言明のようであるが実は必ずしも過言でないことはこの言葉の意味を深く玩味《がんみ》される読者にはおのずから明らかであろうと思われる。
こういう意味で自分は、俳句のほろびない限り日本はほろびないと思うものである。
付言
以上は自分の自己流の俳句観である。現代俳壇の乱闘場裏に馳駆《ちく》していられるように見える闘士のかたがたが俳句の精神をいかなるものと考えていられるかは自分の知らんと欲していまだよく知りつくすことのできないところである。従って上記のごときは俳壇の諸家の一粲《いっさん》を博するにも足りないものであろうが、しかし全然畑違いのディレッタントの放言も時に何かの参考になることもあろうかと思って、ただ心のおもむく
前へ
次へ
全24ページ中23ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
寺田 寅彦 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング