と考えられる。これは理屈ではなくて事実なのである。
 次には俳句が七五七でなくて五七五であるのはどういうわけかという疑問が起こる。和歌の上の句と同型だからというのも一つの説明にはなるが、それとは独立にも五七五のほうが短詩の形式としてすぐれていると思われる理由もなくはない。初五が短いためにそのあとでちょっとした休止の気味があって内省と玩味《がんみ》の余裕を与え、次に来るものへの予想を発酵させるだけの猶予《ゆうよ》を可能にする。中七は初五で提出された問題の発展であり解答であるので長さを要求する。最後の五は結尾であって、しかもそのあとに企韻の暗示を与え、またもう一ぺん初五をふり返ってもう一ぺん詠《よ》み直すという心持ちを誘致するためには、短いほうが有効であるかと思われる。これはあるいは多少|牽強付会《けんきょうふかい》の説と見られるかもしれないがしかしとにかく一応こういう説も立て得られるということは事実であろうと思われる。
 次に「切れ字」というものの意義についてはすでに他の場所で解説したことがあるからここには略するが、これも要するに決して偶然なものでもなく、人工的のものでもなくきわめて自然
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