題になる。
エンゼルフィッシの子が数尾同じ槽にいるのを見ていると、一尾が徐々に上昇し始めるとほとんど同時に他の仲間も上昇を始める。しばらくしてどれかが下降し始めると他のものもまた相前後して下降する。お互いに合図するのかまねをするのか、それとも外界の物理的化学的条件に応じて機械的に反応しているのか、どちらだか自分にはわからない。ただ同じ魚の群れが共同的の動作をするという事実がおもしろい。
大きな水槽に性情を異にするいろいろな種類の魚を雑居させたのがある。そこではもはやこうした行動の一致は望まれないと見えて右往左往の混乱が永久に繰り返されている。これでは魚が疲れてしまいはせぬかと思って気になるようである。
交通があまりに発達して、世界が一つの水槽のようになってしまうと、その中に動いている国々も騒がしくなるはずである。
十一
毎週一回|新宿《しんじゅく》駅で東北沢《ひがしきたざわ》行きの往復切符を買う。すると、改札口で切符切りの駅員がきっと特別念入りにその切符を検査するようである。しかし片道切符のときはろくに注意しないでさっさと鋏《はさみ》を入れるように見える。どういうわけか自分にはわからない。それはとにかく、改札係は人間であるがその役目はほとんど機械的なものである。一定の刺激に反応してそれに相当する一定の動作を繰り返すだけである。それで、小田急線《おだきゅうせん》の往復切符は一種特別な比較的|稀有《けう》な刺激としてそれに応ずる特別の動作を誘発するに過ぎないかもしれない。こういう考え方はしかし決して改札の駅員を侮辱するものではないので、すべての人間はある度まではある場合のある環境のもとにはやはり一種の自動人形《オートマトン》としてしか働いていないからである。すべてのいわゆるプロフェッションはそうした環境をわれわれに供給する。そうしてそれがいちばん安全な環境でもあるであろう。
ものを研究したり、創作したりしようとするには自動人形では間に合わない。それだけにこうした仕事にはいつでも危険が伴なうのであろう。
十二
もう十年も前から毎週一回|新宿《しんじゅく》駅で買うことになっている切符が、ある年のある日突然いつもとはちがう手ざわりのするのに気がついた。気がついて見ると、それは切符の台紙のボール紙の厚みが著しく薄くなっていたのであ
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