こういう全く分り切った事を、自分で始めて発見したように思って独りで喜ぶのが彼の癖である。またそういう事が何故に年賀状有用論の根拠になるかは、おそらく彼自身の外には分らないであろう。
 彼は時としてまたひどく感傷的な事をいう。「年賀はがきの宛名を一つ一つ書いてゆく間に、自分の過去の歴史がまるで絵巻物のように眼前に展《の》べられる。もっとも懐かしいのは郷里の故旧の名前が呼びだす幼き日の追憶である。そういう懐かしい名前が年々に一つ減り二つ減って行くのがさびしい。」
 こういって感に堪えないように締りのない眉をあげさげする。
「年賀はがきの一束は、自分というものの全生涯の一つの切断面を示すものである。人間対人間の関係というものがいかに複雑多様なものであるかを示す模型のようなものである。人情と義理と利害をXYZの座標とする空間に描きだされた複雑極まりない曲面の集合の一つの切り口が見える。これをじっと眺めていると、面白くもあれば恐ろしくもある。」
 何かというとすぐに「XYZの座標」を持ちだすのが彼の一つの癖である。これさえ持出せば科学者でない多数の人々を無条件に感心させる事が出来るとでも思っているらしい。それはとにかく、彼が近頃急に懐旧的《レトロスペクティブ》の傾向を帯びて来たのはどういう訳であろう。人は水に溺れんとする瞬間に過去の生涯全部の幻影を見るそうである。事によると彼もさきが短くなった兆《きざし》ではないかと密《ひそ》かに心配している友人もある。そのせいでもあるまいが、彼がこの頃年賀状の効能の一つとして挙げているのは、それが死んだ時の通知先名簿の代用になるという事である。実際彼の場合にはこれが非常に役立つに相違ない。彼の知人名簿には十年も前に死んだ人の宿所がそのままに残っていて、何の符号も付いていない。また同じ人の名が色々な住所と結合してぱらぱらに散在しているので、どれが現住所であるか、当人でさえ時々間違えることがありそうである。年賀はがきを大切にしまっておくのももっともな訳である。ただし市会議員のよこしたのだけは紙くずかごに入れるようである。また自分の住所をかかないでよこすのはこの目的を達しないといってこぼしている。ずいぶん勝手なことをいうのである。
 そうかと思うとまた彼はこういう気焔を吐く事もある。「ある僕の全く知らない人の年々に受取る年賀はがきの束を僕に貸してよこせば、それを詳しく調べた上で、その人の年恰好、顔形、歩き振り、衣服、食物の好みなどを当てて見せる」という。しかしそれくらいの事が自慢になるようであったら世の中に易者や探偵という商売は存在しない訳であり、奥歯一本の化石から前世界の人間や動物の全身も描きだすような学者はあり得ない訳である。
 色々と六《むつ》かしい、しかもたいていはエゴイスティックな理窟を並べてはいるようであるが、結局は、当り前分り切った年賀状の効能を五十の坂を越えてから始めてやっと気のつくようになったのであるらしい。いったいこれに限らず彼の考える事、する事はたいがい人よりちょうど一時代だけ後れているようである。幸いに永生きをして八十くらいになったら、その時にそろそろマルクス、エンゲルスの研究でも始めるだろうと皆でうわさをすることである。しかし負け惜しみの強い彼の説によると「世界は循環する。いちばんおくれたものが結局いちばん進んでいることになる」というのである。別に議論にもならないから、われわれ友人の間ではただ機嫌よく笑ってすむのである。
 友人鵜照君の年賀状観の変遷史をここに御紹介して読者の御参考あるいはお笑い草に資するのである。[#地から1字上げ](昭和四年一月『東京朝日新聞』)



底本:「寺田寅彦全集 第三巻」岩波書店
   1997(平成9)年2月5日発行
底本の親本:「寺田寅彦全集 文学篇」岩波書店
   1985(昭和60)年発行
初出:「東京朝日新聞」
   1929(昭和4)年1月1日、3日
※初出時の署名は「吉村冬彦」。
※「続冬彦集」に収録された。
※「複雑なる網を」は、底本では「複難なる網を」ですが、親本を参照して直しました。
入力:砂場清隆
校正:多羅尾伴内
2003年11月11日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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