いる世道人心を調律する偉大な調律師は現われてくれないものであろうか。せめては骨肉|相食《あいは》むような不幸な家庭、儕輩《さいはい》相※[#「門<兒」、146−13]《あいせめ》ぐようなあさましい人間の寄り合いを尋ね歩いて、ちぐはぐな心の調律をして回るような人はないものであろうか。
物語に伝えられた最明寺時頼《さいみょうじときより》や講談に読まれる水戸黄門《みとこうもん》は、おそらく自分では一種の調律師のようなつもりで遍歴したものであったかもしれない。しかしおそらくこの二人は調律もしたと同時にまたかなりにいい楽器をこわすような事もして歩いたかもしれない。
調律師の職業の一つの特徴として、それが尊い職業であるゆえんは、その仕事の上に少しの「我」を持ち出さない事である。音と音とは元来調和すべき自然の方則をもっている、調律師はただそれが調和するところまで手をかして導くに過ぎない。
いわゆるえらい思想家も宗教家もいらない。ほしいものはただ人間の心の調律師であると思う時もある。その調律師に似たものがあるとすればそれはいい詩人、いい音楽者、いい画家のようなものではないだろうか。
しかし世の
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