に理論物理学もいいものになるとやはり芸術的にも美しい。
 純粋な実験物理学者は写実主義の芸術家と似通った点がある。自分の目で自分の前のむき出しの天然を観察しなければならない。それが第一義でありまた最大の難事であるのに、われわれの目は伝統に目かくしされ、オーソリティの光に眩惑《げんわく》されて、天然のありのままの姿を見失いやすい。現在目の前に非常におもしろい現象が現われていても、それが権威の文献に現われてない事であると、それはたぶんはつまらない第二義の事がらのように思われて永久に見のがされてしまう。われわれの目はただ西洋のえらい大家の持ち扱い古した、かびのはえた月並みの現象にのみ目を奪われる。そして征服者の大軍の通り去った野に落ちちらばった弾殻《たまがら》を拾うような仕事に甘んじると同じような事になりがちである。
 写実画派の後裔《こうえい》の多数はただ祖先の目を通して以外に天然を見ない。元祖の選んだ題材以外の天然を写すものは異端者であり反逆者である。
 向日葵《ひまわり》の花を見ようとするとわれわれの目にはすぐにヴァン・ゴーホの投げた強い伝統の光の目つぶしが飛んで来る。この光を青白くさせるだけの強い光を自分自身の内部から発射して、そうして自分自身の向日葵を創造する事の困難を思うてみる。それはまさにおそらくあらゆる科学の探究に従事するものの感ずる困難と同種類のものでなければならない。

     線香花火

 夏の夜に小庭の縁台で子供らのもてあそぶ線香花火にはおとなの自分にも強い誘惑を感じる。これによって自分の子供の時代の夢がよみがえって来る。今はこの世にない親しかった人々の記憶がよび返される。
 はじめ先端に点火されてただかすかにくすぶっている間の沈黙が、これを見守る人々の心をまさにきたるべき現象の期待によって緊張させるにちょうど適当な時間だけ継続する。次には火薬の燃焼がはじまって小さな炎が牡丹《ぼたん》の花弁のように放出され、その反動で全体は振り子のように揺動する。同時に灼熱《しゃくねつ》された熔融塊《ようゆうかい》の球がだんだんに生長して行く。炎がやんで次の火花のフェーズに移るまでの短い休止期《ポーズ》がまた名状し難い心持ちを与えるものである。火の球は、かすかな、ものの煮えたぎるような音を立てながら細かく震動している。それは今にもほとばしり出ようとする勢力《エネ
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