のである。
 その後に Van Hinloopen Labberton が一九二五年のアジア協会学報に載せた論文を読んで、自分の素人流《しろうとりゅう》の対比がそれほど乱暴なものでなかった事を知ると同時に、外国の学者の間ではこれがかなり前から問題になっている事を知るに至った。また、Whymant という人の「日本語及び日本人の南洋起原説」というのにも出くわした。そしてその中で日本人というものがはなはだしく低能な幼稚なものとして取り扱われているのに不快を感じると同時にその説がそれほどの名論とも思われないのを奇妙に思ったりした。
 マライを手始めに、アイヌや、蒙古《もうこ》、シナ、台湾《たいわん》などと当たってみると、もちろんかなり関係のありそうな形跡は見えるが常識的に予期されるほどに密接とも思われないのをかえって不思議に思った。それから、ビルマや、タミール、シンガリースなどから、漸次西に向かって、ペルシア、アラビア、トルコ、エジプトへんをあさってみると、やはりいくらかの関係らしいものが認められると思った。ハンガリーやセルボクロアチアンからフィンランドまで行ってみても同様である。
 しかし
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