が、至るところ文章の始めごとに繰り返されて出現する事が奇妙に強い印象を与えた事を記憶する。自分の手のことを「持つ」というのもおかしかったが、これが「手を」の前に来る事がはなはだしく不思議であった。
今になって考えてみると、このジー、ジーという音の繰り返しは、当時の幼い頭の中に、まだ夢にも知らなかった、遠い遠い所にある、一つの別な珍しい世界からのかすかなおとずれのように響いたのかもしれない。それはとにかく、当時に感じた漠然《ばくぜん》たる不思議の感じは、年を経て外国語に対する知識の増すとともに、次第に増しはしても、決して減りはしなかった。ただそれが次第に具体的な疑問の形をとって意識されて来たのである。しかし四十余年前に漠然と感ぜられた疑問は今日に至っても依然たる不可解の疑問である。そして少しばかり言語に関する学者の所説などを読んでみても、なかなか簡単にこの疑問の答解は得られそうもないように思われた。
英語やドイツ語とだんだんに教わるうちに、しばしば日本語とよく似た音をもった同義の語に出会う事がある。これは偶然であろうとは思っても、そのことごとくが偶然の暗合であるという事を証明する事も
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