い》な例をあげれば稗田阿礼《ひえだのあれ》の名が「博覧強記の人」の意味にこじつけられたりした。また他の方面で最も自分の周囲の人々を愉快がらせたのは、かの大江山《おおえやま》の「酒顛童子《しゅてんどうじ》」が「恐ろしき悪魔」と訳されたりするのであった。これほど関係の深いようにわれわれ素人《しろうと》にさえ思われるものが、何ゆえに今日まで言語学者によって高唱されなかったかが不思議であるように思われた。現にある学者の書には、明らかにマライと邦語の関係はたいしたものでないと書いてある。一方朝鮮語やウラルアルタイ、チャムモンクメール、オセアニック等の語系との関係についての論文は往々われわれの目にも入ったが、正面からマライとの関係を論じて、そうしてそれが一般学界ひいては世人の注意をひくほどに至ったもののあった事は寡聞にしてまだ知らなかったのである。
 朝鮮語との語彙《ごい》の近似は、何人もいだくべき予期に反して案外に少ないもののようである。ウラルアルタイックとも、少なくも語彙の点ではそれほどでない事も論ぜられているようである。しかしマライはこの点についてはおそらく前二者に劣る事はなさそうに思われたのである。
 その後に Van Hinloopen Labberton が一九二五年のアジア協会学報に載せた論文を読んで、自分の素人流《しろうとりゅう》の対比がそれほど乱暴なものでなかった事を知ると同時に、外国の学者の間ではこれがかなり前から問題になっている事を知るに至った。また、Whymant という人の「日本語及び日本人の南洋起原説」というのにも出くわした。そしてその中で日本人というものがはなはだしく低能な幼稚なものとして取り扱われているのに不快を感じると同時にその説がそれほどの名論とも思われないのを奇妙に思ったりした。
 マライを手始めに、アイヌや、蒙古《もうこ》、シナ、台湾《たいわん》などと当たってみると、もちろんかなり関係のありそうな形跡は見えるが常識的に予期されるほどに密接とも思われないのをかえって不思議に思った。それから、ビルマや、タミール、シンガリースなどから、漸次西に向かって、ペルシア、アラビア、トルコ、エジプトへんをあさってみると、やはりいくらかの関係らしいものが認められると思った。ハンガリーやセルボクロアチアンからフィンランドまで行ってみても同様である。
 しかし
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