しても、またたいていの広い火よけ街路の空間をもってしてもはたして防ぎ止められるかどうかはなはだ疑わしい。幸いに大雨でも降り出すか、あるいは川か海か野へでも焼け抜けてしまわない限り鎮火することは到底困難であろうと考えられる。それで函館の場合にも必ず何かしら異常な事情の存在したために最初の五分間に間に合わなかったのではないかと想像しないわけにはゆかないのである。しかしどんな事情があったかを判断すべき材料は今のところ一つもない。いろいろの怪しいうわさはあるがにわかに信用することはできない。しかしそういうことを今|詮索《せんさく》するのはもとより自分の任でもなんでもない。ただ自分は今回の惨禍からわれわれが何事を学ぶべきかについていくらかでも考察し、そうして将来の禍根をいくらかでも軽減するための参考資料にしたいと思うのである。
 あんなにも痛ましくたくさんの死者を出したのは一つには市街が狭い地峡の上にあって逃げ道を海によって遮断《しゃだん》せられ、しかも飛び火のためにあちらこちらと同時に燃え出し、その上に風向旋転のために避難者の見当がつかなかったことなども重要な理由には相違ないが、何よりも函館《
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