てはめたかのように函館全市が横たわっていたのである。
 二十二日午前六時には低気圧中心はもうオホツク海に進出して邦領カラフトの東に位し、そのために東北地方から北海道南部はいずれもほとんど真西の風となっている。それで発火後風向はだんだんに南々西から西へ西へと回転して行ったに相違ない。このことがまた実に延焼区域を増大せしめるためにまるであつらえたかのように適応しているのである。もしも最初の南々西の風が発火後その方向を持続しながら風速を増大したのであったらおそらく火流は停車場付近を右翼の限界として海へ抜けてしまったであろうと思われるのが、不幸にも次第に西へ回った風の転向のために火流の針路が五稜郭《ごりょうかく》の方面に向けられ、そのためにいっそう災害を大きくしたのではないかと想像される。この気象学者には予測さるべき風向の旋転のために死なずともよい多数の人が死んだのである。
 火災中にしばしば風向が変わったと報ぜられているがこれは大火には必然な局部的随伴現象であって現場にいる人にとっては重大な意義をもつものであるが、延焼区域の大勢を支配するものではないから、上記の推測に影響を及ぼす性質のもので
前へ 次へ
全22ページ中7ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
寺田 寅彦 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング