土佐の地名
寺田寅彦
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)転訛《てんか》する
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)隣国|讃岐《さぬき》は
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(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)サ※[#小書き片仮名ト、1−6−81]
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地名には意味の分らないのが多い。これはむしろ当然の事である。地名は保存されつつ永い年代の間に転訛《てんか》する、一方で吾々の通用語はまたこれと別の経路を取って変遷するからである。こういう訳であるから地名の研究が民族の過去の歴史を研究する上に重要な意義をもつのは勿論である。しかしそういう意味から地名を研究する場合には、現在の通用語をもって解釈しようとするのでは、無駄でないまでも有効でない。結局循環論理のようなものに陥ってしまう恐れがある。また旧い記録例えば記紀のごときものの記事にあるような語源説が信用出来ないという事は既に学者の明白に認めているところである。それではほとんど唯一の有意義な方法と考えられるのは、現在日本人と隣接する民族の国語との関係を捜す事である。
こういう立場からすれば例えば土佐の地名を現在あるいは過去の日本語で説明しようとするよりは、むしろこれらの地名とアイヌ、朝鮮、支那、前インド、マレイ、ポリネシア等の現在語との関係を捜す方が有意義である。
こういう研究は既にその方の専門家によっては追究されている。自分はこの方には全然門外漢であるが、自分の専門と多少の関係があるので少しばかり土佐の地名を考えてみた。勿論まだ何ら纏《まとま》った結果を得た訳ではないが、少しばかり考えた断片的の結果を左に記して、専門家やまた土佐の歴史に明るい先輩諸氏の示教を仰ぎたいと思う。
誤解をなくするために断っておきたいと思う事は、左に地名と対応させた外国語は要するにこじつけであって、ただある一つの可能性を示唆し、いわゆる作業仮説としての用をなすものに過ぎないという事である。また例えばアイヌ語との関係を示しても、それだけでは現在のアイヌと土佐と直接の交渉があったという証拠には決してならない事も明白である。
最近に坪井博士はその著『我が国民国語の曙』において四国の地名についても多少の考証をしておられる。それは主として、チャム、モン、クメール、マラヨポリネシア系の言語によって解釈を試みておられる。しかし自分の見るところでは、アイヌ語らしい地名もかなり見受けられるからここには主にその方のものを並べてみる事にする。
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種崎《タネザキ》 アイヌの「タンネ」は長い[#「長い」に傍点]。「サッカイ」は砂堆[#「砂堆」に傍点]ですなわち長い砂嘴[#「砂嘴」に傍点]。(大阪近くの境も出雲の境も砂嘴か。)
孕《ハラミ》 「パラモイ」は広き静処[#「広き静処」に傍点]で湾の名になる。しかしチャムで「ハラム」は閉鎖[#「閉鎖」に傍点]の義であるからその方かもしれぬ。
比島《ヒシマ》 「ピ」は小の義、「シュマ」は石[#「石」に傍点]。
サ島 「サ※[#小書き片仮名ト、1−6−81]」は乾[#「乾」に傍点]、乾出せる岩礁か。
万々《ママ》 「メム」は沼[#「沼」に傍点]またラグーン[#「ラグーン」に傍点]。
物部《モノベ》 「ポロペッ」大河[#「大河」に傍点]。
韮生《ニラフ》 「ニナラ」高原[#「高原」に傍点]。また「ニ」樹[#「樹」に傍点]「オロ」豊富[#「豊富」に傍点]。
夜須《ヤス》 「ヤシ」網を引く[#「網を引く」に傍点]。
別府《ベップ》 「ペッポ」小河[#「小河」に傍点]。
別役《ベッチャク》 「ペッチャ」河[#「河」に傍点]「クッ」咽喉[#「咽喉」に傍点]。またチャムで「ボ※[#小書き片仮名ク、1−6−78]」は遮断[#「遮断」に傍点]、「チョ※[#小書き片仮名ク、1−6−78]」は山[#「山」に傍点]。
仁西《ニサイ》 「ニセイ」絶壁[#「絶壁」に傍点]。
野見《ノミ》 「ヌムイ」豊漁の湾[#「豊漁の湾」に傍点]。
与津《ヨツ》 「エツイ」岬[#「岬」に傍点]。
小籠《コゴメ》 「コム」は瘤[#「瘤」に傍点]、また小山[#「小山」に傍点]。「コムコム」か。
咥内《コーナイ》 「カウンナイ」係蹄をかけて鹿を捕る沢[#「係蹄をかけて鹿を捕る沢」に傍点]。石狩にもこの地名あり。
加江《カエ》 は岩の割目[#「岩の割目」に傍点]。
大河内《オオコウチ》 「ウーコッ」川の合流[#「川の合流」に傍点]。(この名は諸国に多い。)
甲殿《コードノ》 「コタン」は村[#「村」に傍点]。またマレイで「コタ」は町[#「町」に傍点]。またビルマ語で「コーンダーン」は小さき山脈[#「小さき山脈」に傍点]。
和喰《ワジキ》 「ワシ」波浪[#「波浪」に傍点]「ケプ」破れる[#「破れる」に傍点]。また「ケ」場所[#「場所」に傍点]。
奴田《ヌータ》 「ヌ※[#小書き半濁点付き片仮名フ、1−6−88]」頂の平たき山[#「頂の平たき山」に傍点]「タプ」円頂丘[#「円頂丘」に傍点]。
日下《クサカ》 「クサハ」河を渡船で渡る[#「河を渡船で渡る」に傍点]。勿論土佐の日下は山地である、人名等より来たであろうが、もとは渡しかもしれぬ、崇神紀《すじんき》に「クスハノワタシ」というのがある。
十市《トーチ》 「トンチ」穴[#「穴」に傍点](十市には鍾乳洞がある)。また「トツエ」は沼の潰れし処[#「沼の潰れし処」に傍点]。またチャム「ト」は中央[#「中央」に傍点]「テ」は場所。十市の地名は記紀にもある。
穴内《アナナイ》 「オンネナイ」は大川[#「大川」に傍点]。しかしまたチャム語でも「ナイ」は河[#「河」に傍点]または河辺の野[#「河辺の野」に傍点]であり、アイヌやサモア、マオリ語でも「アナ」は穴[#「穴」に傍点]でもある。
戸波《ヘハ》 「ペッパロ」は川口[#「川口」に傍点]。またモン語で「ウェア」は平原[#「平原」に傍点]。
大西 「オニウシ」大きな森[#「大きな森」に傍点]。
奈路《ナロ》 この地名は土佐各所の山中にある。アイヌで「ノル」は熊の足跡[#「熊の足跡」に傍点]であるが、ことによると「ナ」河流[#「河流」に傍点]と「ロロ」または「ロッ」上座[#「上座」に傍点]の義かもしれぬ。この地名は大抵河の畔《ほとり》にあるから。また朝鮮で「ナル」は山であるがこれであるかもしれない。
御畳瀬《ミマセ》 「ピパ」牡蠣の種類[#「牡蠣の種類」に傍点]。「シ」は在所[#「在所」に傍点]。「セッ」巣[#「巣」に傍点]。北海道に地名ビバウシがある、バチェラーはやはり「貝のある所」と解している。bがmに変るのは普通だからこれは同じものらしい。
仁淀《ニヨド》 坪井博士はチャム語「ニオト」塩魚[#「塩魚」に傍点]、塩肉[#「塩肉」に傍点]としている。ビルマ「ニアジヨーク」も干魚[#「干魚」に傍点]である。しかしアイヌとすれば「ニ」樹木[#「樹木」に傍点]「オロ」豊富[#「豊富」に傍点]。またマレイ「ニアタ」は用材樹木[#「用材樹木」に傍点]。仁淀川と塩魚は縁が薄いが材木とは縁が深い。
越知《オチ》 「オチ」は水の渦を巻く[#「水の渦を巻く」に傍点]義。
手結《テイ》 「タイ」森[#「森」に傍点]。これではないらしい。あるいは「ツイ」切れる[#「切れる」に傍点]か。ビルマでは「テー」砂[#「砂」に傍点]。出雲の手結[#「手結」に傍点](タユイ)とは必ずしも同じではないかもしれぬ。
津呂《ツロ》 「ツル」は突き出る[#「突き出る」に傍点]。二箇所の津呂いずれも国の突端に近い。(長津呂のツロも同じか。)
以布利《イブリ》 バタク語で「イフル」は前同様突端でこれが津呂に近くあるのは面白い。
足褶《アシズリ》 「アツイ」海[#「海」に傍点]「ツリ」突出[#「突出」に傍点]。すなわち海中に突き出る義か。
安和《アワ》 「アパ」入口[#「入口」に傍点]。または海上より見た河口[#「海上より見た河口」に傍点]。阿波国名もあるいは同じか。
五百蔵《イオロイ》 「イウォロ」山[#「山」に傍点]。
斗賀野《トガノ》 「ツク」上方に拡がる[#「上方に拡がる」に傍点]「ヌ※[#小書き半濁点付き片仮名フ、1−6−88]平原丘[#「平原丘」に傍点]。
四万十《シマント》川 「シ」甚だ[#「甚だ」に傍点]。「マムタ」美しき[#「美しき」に傍点]。
布師田《ヌノシダ》 北海道に「ヌ※[#小書き半濁点付き片仮名フ、1−6−88]ノユシ」の地名がある。蓬野[#「蓬野」に傍点]の義である。
伊尾木《イオキ》 「イオチ」は蛇の居る[#「蛇の居る」に傍点]であるか。またセマング語で「イオ」は森[#「森」に傍点]、「クイン」は樹[#「樹」に傍点]である。伊与木も伊尾木も多分同じものか。フィン語の「ヨキ」は川[#「川」に傍点]である。
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あるいはアイヌ「イオク」釣針で捕る[#「釣針で捕る」に傍点]すなわち釣魚の義か。サカイ語では「カドー」でこれが門谷のカドに関係するかもしれない。
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土佐 門狭《とさ》ですなわち佐渡の狭門《さど》に同じく狭い海峡をはいって行く国だとの説がある。しかしアイヌで「ツサ」は袖の義である。土佐の海岸どこに立って見ても東西に陸地が両袖を拡げたようになっているから、この附会は附会として興味がある。もしこれがアイヌだとすると、隣国|讃岐《さぬき》は「サンノッケウ」すなわち顎[#「顎」に傍点]であろう。能登がアイヌの「ノト」頤《おとがい》である事は多くの人が信じている。
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坪井博士の説ではトサはやはりチャム系の言葉で雨嵐[#「雨嵐」に傍点]の国だそうである。これだとあまり有難くない国である。
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高知 これは従来の説では、河内《こうち》すなわちデルタだそうである。坪井博士の説ではチャム語で島[#「島」に傍点]である。しかしアイヌだと「コッチ」「コーチ」宅地[#「宅地」に傍点]となる。これはまたマレイの「コータ」堡塁[#「堡塁」に傍点]とのある関係を思わせる。
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以上は大部分ただ偶然の暗号に過ぎないかもしれない。しかし中には実際ある関係をもつものもあるかもしれない。関係があるとしても、それがどういう関係であるかは分らない。実際アイヌの先祖の言葉であるのか、また我々の先祖の言葉が今のアイヌの言語に混入しているのか、あるいは朝鮮、支那、前インド、南洋から後に渡来したのがアイヌの先祖と吾等の先祖の言語に混合しているのかそれはなかなか容易に決定し難い問題である。
ただ以上のようにこじつけ得られるという事自身には何らかの意義があるであろう。この事実がもし我郷土の研究者に何かの暗示を与える端緒ともならば大幸である。
[#地から1字上げ](昭和三年一月『土佐及土佐人』)
底本:「寺田寅彦全集 第六巻」岩波書店
1997(平成9)年5月6日発行
※著者が、アイヌ語との関連を疑ってあげた地名中の小書き片仮名に関しては、JIS X 0213のアイヌ語表記用片仮名の面区点番号を添えて、外字注記しました。
入力:Nana ohbe
校正:浅原庸子
2005年8月19日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
終わり
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