くまた悲しむべき現象を記録したものが非常に沢山に収集されていて、それがまたこの随筆集中の最も面白い部分をなしているのである。似非風流《えせふうりゅう》や半可通《はんかつう》やスノビズムの滑稽、あまりに興多からんことを求めて却って興をさます悲喜劇、そういったような題材のものの多くでは、これをそのままに現代に移しても全くそのままに適合するような実例を発見するであろう。十四世紀の日本人に比べて二十世紀の日本人はほとんど一歩も進んでいないという感を深くさせるのはこれらの諸篇である。新しがることの好きな人は「一九三三年である。今頃『徒然草』でもあるまい」と云うが、そういう諸君の現在していることの予報がその『徒然草』にちゃんと明記してあるのである。
鼎《かなえ》をかぶって失敗した仁和寺《にんなじ》の法師の物語は傑作であるが、現今でも頭に合わぬイズムの鼎をかぶって踊って、見物人をあっと云わせたのはいいが、あとで困ったことになり、耳の鼻も※[#「てへん+宛」、第3水準1−84−80]《も》ぎ取られて「からき命まうけて久しく病みゐる」人はいくらでもある。
心の自由を得てはじめて自己を認識することが出
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