地悪く押されもまれて、その上に足を踏みつけられ、おまけに踏んだ人から「間抜けめ、気を付けろい」などと罵《ののし》られて黙っていなければならなかった。このような――当り前ならば多分何でもないと思われるべき事が、しばらく忘れていただけに非常に強く当時の自分の頭に印象された。その時分から妙に電車の乗客の顔が不愉快に陰鬱にあるいは険悪に見え出したのである。そして色々な事を考えてみた。あまり確実な事は云われないが、西洋の電車ではこんな心持のした事はなかったように思う。勿論《もちろん》疲れた眠い顔や、中にはずいぶん緊張した顔もあるにはあったろうが、別にそれがために今のように不愉快な心持はしなかった。人種の差から免れ難い顔の道具の形や居ずまいだけがこのような差別の原因であろうか、何かもっとちがったところに主要な原因があるのではあるまいかと考えてみた。
 先ず堅い高足駄《たかあしだ》をはいて泥田の中をこね歩かなければならない事、それから空風《からかぜ》と戦い砂塵に悩まされなければならない事、このような天然の道具立にかてて加えて、文明の産み出したこの満員電車に割り込んで踏まれ押され罵られなければならない事、ただこの三つの条件だけでも自分のような弱い者にはかなりに多く神経の不愉快な緊張を感じさせる。これが毎日日課のように繰返される間には、自分の顔の皺《しわ》の一つや二つは増すに相違ない。
 近頃アメリカの学者の書いたものを読んでいたら、その中に、「英国人に比べてみると米国人の顔なり挙動なりはあまり緊張し過ぎている。これは心に余裕のない事を示す。その原因は気候の険悪などというためではなくて、人と人との間に養成された習慣が第二の天性に変化したのである。これを治療するにはやはり余裕のある人を模倣する事によって習性を改める外はない」と論じている。これを読んでなるほどと感心した。
 しかしまだどうもこの説には充分に腑《ふ》に落ちないところがある。もし東京にあの風が吹かなかったら、もし東京の街の泥と塵がなかったら、そして電車の数を増すか、あるいはいっその事に全部無くしてしまったら、それだけでも東京市民の顔は幾分か柔らかく快いものになりはしまいかと思われる。
 こう考える理由が一つある。
 東京市民の顔の緊張がやや弛《ゆる》んで見える場所がある、それは外でもない風呂屋である。日本に特有なこの有難い公
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