いぶん頻繁《ひんぱん》に先生のお宅へ押しかけて行って先生のピアノの伴奏で自己流の演奏、しかもファースト・ポジションばかりの名曲弾奏を試みたのであったが、これには上記のような古い因縁があったのである。
 高等学校における田丸先生の物理も実に理想的の名講義であったと思う。後に理科大学物理学科の課目として教わったものが「物理学」だとすると、その基礎になるべき「物理そのもの」とでもいったようなものを、高等学校在学中に田丸先生からみっしり教わったというような気がする。この時に教わったものが、今日に至るまで実に頭にしみ込み実によく役に立ち、そうしていつでも自分の中で生きてはたらいているのを感ずる。高等学校の物理は実にだいじだと思う。
 そのころ先生は時々物理の宿題を出して生徒一同から答案を徴し、そうしてそれを詳しく調べた上で一同を集めておいてその答案に対する丁寧な講評をされた。その宿題を解くのが自分には実に楽しみであった。いつか「月蝕《げっしょく》のときに、地球の半陰影《ペナンブラ》が見えないのはなぜか」という問題が出た時、いろいろ考えたがよくわからず、結局何かだいぶ無理なこじつけを書いて出した。
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