田丸先生の追憶
寺田寅彦

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)掩散《えんさん》したがる

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)秋|熊本《くまもと》高等学校に

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#地から3字上げ](昭和七年十二月、理学部会誌)

〔〕:アクセント分解された欧文をかこむ
(例)レペルトアルは、〔Sta:ndchen, Am Meer, Im Dorfe, Doppelga:nger, … etc.〕 であった。
アクセント分解についての詳細は下記URLを参照してください
http://aozora.gr.jp/accent_separation.html
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 なくなってまもない人の追憶を書くのはいろいろの意味で困難なものである。第一には、時のパースペクティヴとでもいうのか、近いほうの事がらの印象が遠い以前のそれを掩散《えんさん》したがる傾向がある。第二には、近いほうの事を書こうとすると自然現在の環境の中でのいろいろの当たりさわりが生じやすい。第三には、いったいそういうものを書こうというような気持ちにもなりにくいものである、いかにも心ないわざだという気がするのである。それで田丸《たまる》先生の場合にしても、なくなられてまもない今日、こんなものを書く気になりかねるのではあるが、理学部会編集委員のたっての勧誘によって、ほんの少しばかり自分の高等学校時代の思い出を主にして書いてみることにした。
 明治二十九年の秋|熊本《くまもと》高等学校に入学してすぐに教わった三角術《トリゴノメトリー》の先生がすなわち当時の若い田丸先生であった。トドハンターの本を教科書として使っていた。いちばん最初に試験をしたときの問題が、別にむつかしいはずはなかったのであるが、中学校の三角の問題のような、公式へはめればすぐできる種類のものでなくて、「吟味」といったような少しねつい種類の問題であったので、みんなすっかり面食らって、きれいに失敗してしまって、ほとんどだれも満足にできたものはなかった。その次の時間に先生が教壇に現われて、この悲しむべき事実を報告されたのであったが、その時の先生は実にがっかりしたような困り切ったような悲痛な顔をしておられた。あんなやさしい問題ができないのは実に不思議だと言われるのであった。生
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