月が照らしていた。
貴船神社《きふねじんじゃ》の森影の広場にほんの五六人の影が踊っていた。どういう人たちであったかそれはもう覚えていない。私にはただなんとなくそれがおとぎ話にあるようなさびしい山中の妖精《ようせい》の舞踊を思い出させた。そしてその時なぜだか感傷的な気分を誘われた。
その時見舞った病人はそれからまもなくなくなったのである。
私は今でも盆踊りというとその夜を思い出すが、不思議な錯覚から、その時踊っていた妖精《ようせい》のような人影の中に、死んだその人の影がいっしょに踊っていたのだというような気がしてしかたがない。
そして思う。西洋くさい文明が田舎《いなか》のすみずみまで広がって行っても、盆の月夜には、どこかの山影のような所で、昔からの大和民族《やまとみんぞく》の影が昔の踊りを踊っているのではあるまいかと。
盆踊りという言葉にはイディルリックなそしてセンシュアスな余韻がある。しかしそれはどうしても現代のものではない。その余韻の源にさかのぼって行くと徳川時代などを突き抜けて遠い遠い古事記などの時代に到着する。
盆踊りのまだ行なわれている所があればそこにはどこかに奈良
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