いことは、たとえば古事記の雄略《ゆうりゃく》天皇のみ代からも伝わっている。しかし人口の増殖とともに獲物が割合に乏しくなり、その事が農業の発達に反映したということも可能である。それが仏教の渡来ということもあいまってわが国におけるこれらのゲームの絶滅をかろうじて阻止することができたのかもしれない。
水産生物の種類と数量の豊富なことはおそらく世界の他のいかなる部分にもたいしてひけを取らないであろうと思われる。これは一つには日本の海岸線が長くて、しかも広い緯度の範囲にわたっているためもあるが、さらにまたいろいろな方向からいろいろな温度塩分ガス成分を運搬して沿岸を環流しながら相錯雑する暖流寒流の賜物である。これらの海流はこのごとく海の幸《さち》をもたらすと同時にまたわが国の気候に第二次的影響を及ぼして陸の幸をも支配する因子となっているようである。
先住民族は貝塚《かいづか》を残している。彼らの漁場はただ浜べ岸べに限られていたであろうが、船と漁具との発達は漁場を次第に沖のほうに押し広げ同時に漁獲物の種類を豊富にした。今では発動機船に冷蔵庫と無電装置を載せて陸岸から千海里近い沖までも海の幸の領域
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