きゅう》) シナのフキン。朝鮮のコクン。日本のコキュー。モハメダンのギゲ。古代フランスのギグ。今のドイツのガイゲ。アフリカのゴゲ。いずれも同一属の楽器としてこんな名前が並べ得られる。
 これについて思い出すのは古いアッシリアの竪琴《たてごと》と正倉院にある箜篌《くご》との類似である。クゴはシナ音クンフーでハープと縁がある。アラビアの竪琴ジュンク。マライのゲンゴンと称する竹製の竪琴。シャムのコンヴォン。朝鮮のグムンゴまたクムンコなどが連想される。
 中央アフリカ北東コンゴーのある地方の竪琴にクンディまたはクンズというのがある。ここまで来ると騎虎《きこ》の勢いに乗じて、結局日本のコトをついでにこれと同列に並べてみたくなるのである。
 竪琴の最古のものはテーベの墓の壁画に描かれたものだそうで恐ろしく古いものらしい。アッシリアのものはわずかに極東日本にその遠い子孫を残すに過ぎないと思われていたが、同じようなものが東トルキスタンで発見されたそうである(紀元一世紀ごろのもの)。これははなはだ意味の深い事実である。
 昔はあらゆる弦楽器がハープという一つの名で呼ばれたらしいという説がある。そういう事を頭においてだんだんに上記のいろいろの弦楽器の名前をローマ字書きに直して平面的あるいは立体的に並列させてみるとこれらはほとんど連続的な一つの系列を作る。これはたぶん偶然であるかもしれない。しかし万一そうでないかもしれない。かりに偶然でないとしたところでそれはこれらの名が擬音的であるために生ずる自然の一致であるか、あるいは伝統因果的関係から来るのか、たぶん両方であるか、これはなかなか容易にはわかりにくい問題であろう。
 笛の名でもニューギニアのムベイ。ニュージーランドのプー。マレイのプアン。ミンダナオのプアラ。マルケサスのプイフ。ビルマのプルエ。ピルウェ。スラヴのフバ。フィンランドのフィル。ラテンのピパ。などみんな擬音らしくもありまた関係があるらしくもある。オボーなどもこれと従兄弟《いとこ》である。
 おもしろい事には全然ちがった楽器の名前が同じような音から成り立っている例のかなり多いことである。たとえば笛のピパに対して弦楽器のピパすなわちビワがあり、弦楽器のタンブールに対して太鼓のタンブールがあるような類である。
 以上はただまるで夢のような話で結局これだけからはなんの結論も出て来ないのではあるが、ともかくもこれだけの片かなの名前を並べて、のどかにながめていると一種不思議な気持ちになって来る。今まで自分たちとは全くなんのゆかりもないように思われていた遠い国々の民族が何かしら、全くのあかの他人でないような気がして来る。古い言葉の四海兄弟という文字の意味が急に新しい光を浴びて現われて来るのを感じる。
 赤道へ行っても実際は地球儀にかいてあるような線はどこにも存在しない。地図の上ではちがった絵の具でくっきりと塗り分けられた二つの国の国境へ行って見ても、杭《くい》が一本立ってるくらいのものである。人間のこしらえた境界線は大概その程度のものである。人間の歴史のある時期に地球上のある地点に発生した文化の産物は時間の経過とともに人為的のあらゆる障壁を無視して四方に拡散するのは当然である。永代橋《えいたいばし》から一|樽《たる》の酒をこぼせば、その中の分子の少なくもある部分はいつかは、世界じゅうの海のいかなる果てまでも届くであろうように、それと同じように、楽器でも言語でも、なんでも、不断に「拡散《ディフュージョン》」を続けて来たものであろうと思われる。ただ溶媒中における溶質分子の拡散と比べてはなはだしく幾重にも複雑な方則に支配されるであろうし、拡散する「物」の安定度《スタビリティ》が少ないために、事がらがいっそう込み入って来るのであろう。
 以上は畢竟《ひっきょう》一つの空想に過ぎない。ただ、近来わが国固有文化に関する研究が急激に盛んになって来たのに気がついて、愉快に感じると同時に自分も知らず知らずその趨勢《すうせい》に刺激されて、つい柄《がら》にない方面にまで空想の翼を延ばしたくなったようなわけである。杜撰《ずざん》な考証に対してもし識者の教えを受ける縁ともならば大幸である。
(お断わり。楽器の名のかな書きに直し方に不穏当なのがあるかもしれない。どうかそのつもりで読んでもらいたい。)
[#地から3字上げ](昭和三年一月、大阪朝日新聞)



底本:「寺田寅彦随筆集 第二巻」小宮豊隆編、岩波文庫、岩波書店
   1947(昭和22)年9月10日第1刷発行
   1964(昭和39)年1月16日第22刷改版発行
   1997(平成9)年5月6日第70刷発行
入力:(株)モモ
校正:かとうかおり
2003年6月25日作成
青空文庫作成ファイル:
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