新しい伝統の穴に陥って藻掻《もが》いているようである。むしろ、あらゆる伝統を深く掘り下げ、噛みこなして、十二分に腹をこしらえてから後に、自分の腹一杯の声を出して、自分の中にある本当のものを正直に表現するのが本当の「野獣」である。野獣の皮を被った羊や驢馬《ろば》は頼みにならないのである。
 こう云ったからといって私は二科会や美術院の解散をすすめるというような大それた考えを持ち出す訳でも何でもない。ただ、学芸にたずさわる団体は時々何かしらかなり根本的な革新を企てて風通しをよくし、黴《かび》の生えないようにする必要があるという至極平凡なことを、やや強く表現しようとしただけのことである。実際、少々拙ない改新でも完全なる習俗に優ることがしばしばあるという事実を人は往々にして忘れがちなものである。[#地から1字上げ](昭和八年十月『中央美術』)



底本:「寺田寅彦全集 第八巻」岩波書店
   1997(平成9)年7月7日発行
底本の親本:「寺田寅彦全集 文学篇」岩波書店
   1985(昭和60)年
初出:「中央美術」
   1933(昭和8)年10月1日
※初出時の署名は「吉村冬彦」です。
入力:Nana ohbe
校正:松永正敏
2006年7月13日作成
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