はなれないが、しかし一度見たら妙に眼に残って忘れられない不思議なものをもっている。これに反してその隣にあった桜の写生屏風などは第一印象も第二第三の印象も自分には何も残らない。第一、部分と全体とが仲違いをして音信不通の体である。短夜の明け方の夢よりもつかまえどころのない絵であると思った。そういう絵が院展に限らず日本画展覧会には通有である。一体日本画というものが本質的にそういうものなのか。つまり日本画というものはこいう展覧会などに陳列すべきものでないのかとも考えてみる。しかしここにもし光琳《こうりん》でも山楽《さんらく》でも一枚持ってくればやっぱり光って見えはしないかとも思う。来年から、一室に一つくらいずつそういう参考品を陳列して刺戟剤にしてはどうかと、そんな事も考えてみた。
個人展覧会は別として、こういう綜合展覧会は結局個性の展覧会である、それだのに個性のない絵を何百も並べては少なくも展覧会の観客の大部分を形成する素人の見物には退屈の外何物をも与えない。多少の個性は勿論一人一人に多少ずつはあっても、それが浜の真砂の一つ一つの個性のような個性では専門家以外には興味は稀薄である。一粒選りの宝石の個性を並べてもらいたいというのが吾々のようなものの勝手な希望である。それには毎年一回の展覧会は少し多過ぎる。五年待ってもいいから、もう少し興奮するような展覧会がほしいと思う。出来ない相談とは知りつつも、毎年の展覧会を見る度にそう思わないことはないのである。
これらの不平はみんな、つまり自分がだんだん老耄《ろうもう》して来て頭が古くなり、感激性が麻痺したせいかもしれない。しかしそうばかりでもないかもしれないと思うことは、一体二科会とか美術院とかいう展覧会が十年も二十年も継続しているという不思議な事実自身で証明されているような気もする。これは少し変った言い分のようであるが、しかし一般に云って、同じ団体がそう永く無事に続くということ自身が沈滞と硬化とを意味する場合が多い。これは政党でも学術団体でも、芸術団体でも同様である。どこでもやはり時々「野獣の群」が出なければ新しい生命の叫び声は聞かれないのではないか。尤もここで「野獣の群」というのは破壊的な乱暴者でもなければ、無意味に変態な病的のものを求める猟奇者でもないことは勿論である。現在の「きたない絵」を描く人達は古い伝統を離れようとして
前へ
次へ
全5ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
寺田 寅彦 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング