二科狂想行進曲
寺田寅彦
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)葱《ねぎ》大根
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)ちょっと一|刷毛《はけ》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#ここから1字下げ]
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一
古い伝統の床板を踏み抜いて、落ち込んだやっぱり中古の伝統長屋。今度の借家は少し安普請で、家具は仕入れ。ボールの机にブリキの時計、時計はいつでも三十度くらい傾いて、そして二十五時のところで止っている。いつまでも止っている。今度の大地震の来る日までは。
二
大掃除の午後の路地の交互点、こわれたおもちゃに葱《ねぎ》大根の尻尾《しっぽ》、空瓶空ボールの交響楽、マルクス、ムッソリニの赤ん坊の夢を買わないか。汚いものは美しく、美しいものはきたなく。のっぺりの中へ少しこまこまと金銀紫銅のモール。昼食か、そこへおきな。
三
黄は睨《にら》み朱は吼《ほ》える、プルシアンブルーはうめく。鏝《こて》で勢いよくきゅうとなでて、ちりちりぱっとくくりをつけて、パイプをくわえて考え込んで、モンパリー、チッペラリー、ラタヽパン。そこでノアルで細筆のフランス文字、ブルバールデトセトラ。
四
脚は一八〇プロセントくらいに、眼と眼はうんとくっつけるか、思い切り開いて、さてこの腕をどうやろう。寛永寺の鴉《からす》より近い処にビッシェール、ロート。顔のここらへちょっと一|刷毛《はけ》、どうですこの色は新しいね。トラヽイラヽララー、絵具の払いはいつでもよい。
五
地獄変相図の世界国ノアの洪水、ソファの下から這出《はいだ》した蜘蛛蟹《くもがに》のお化け。熱《あ》つや苦しや、通風の悪い残暑の人いきれ。観音様が流行《はや》らないなら、モガの一人も張り飛ばして、食堂でアイスカフェーの食券一枚。
六
大家は大家で小家は小家、そして中家は中家で世紀はめぐる。鯛の頭に孔雀《くじゃく》の尻尾。動物園には象が居るよ。植物園は涼しいね。マルクスが何と云っても絵画は絵画で科学は科学です。ヴォアラ、ネスパ、セッサ、ムシュー、アラマディ、プレンプアン、ラタヽパン。
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同じ人間が同じ会の展覧会批評を毎年つづけて書けば、結局同じような事を繰返すことになりそうですから、少し趣向を変えてと思ったのが丁度その時の気分でこんなものになってしまいました。しかしとにかくこのために一日わざわざ見に行ったのでしたが、その日はまた特別に蒸暑い日だったので頭がぼんやりして、そして気分が悪くなって帰って来て、すぐに机に向っていたら自然にこんな「詩」が生れました。自分でも何の事だか分らないが、しかしその日のその時刻の私のある感じだけは出ているようだから、ともかくも御目にかけます。御取捨御自由に願います。
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[#地から1字上げ](昭和三年十一月『霊山美術』)
底本:「寺田寅彦全集 第八巻」岩波書店
1997(平成9)年7月7日発行
底本の親本:「寺田寅彦全集 文学篇」岩波書店
1985(昭和60)年
初出:「霊山美術」
1928(昭和3)年11月
※初出時の署名は「寅日子」です。
入力:Nana ohbe
校正:松永正敏
2006年7月13日作成
青空文庫作成ファイル:
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