見せるのもいいかと思う。
ジョコンダの絵と、ルウベンスの模写が出ている。模写の出来る絵と出来ない絵とがあるとすれば、この二つはその代表者だと思う。ジョコンダの模写を見ると本物の価値が始めてよく分るし、ルウベンスの模写を見ると、ルウベンスの大幅が到る処のギャレリイにのさばっている理由が明白になると思う。
マイヨオルのものの見えないのが物足りない。何か訳があって出ないのではないかを心配する。フランス人と日本人との心持のピッタリ接触し得る接触点を示すものがマイヨオルのプラスティックであるかと思う。ロダンなどは、ほんとうは日本人に背中を向けておりはしないか。
マイヨオルの作品を見ると、人に見せよう展覧会に出そうという発表意識が少しも感ぜられない。作者が自分ですっかり目尻を下げているようなところがある。
これに反して、近頃の展覧会の多くの絵などは、作者が幕の陰にかくれていて、見物人の眼の色ばかり読んでいそうな気がする。そんな心持が少しでもあって、いい芸術が生れようとは思われない。見る人にとっても釣り込まれるような感興が起ろうはずはない。
思うままを備忘までに書いてみた、名前を挙げた画
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