頼もしく思う。
 この人の絵を見ていると、日常見馴れているものの中に潜んでいるグロテスクな分子を指摘される。天プラや、すし[#「すし」に傍点]などがあんなに恐ろしい鬼気をもって人に迫り得るという事を始めてこの画から教えられる。
 このままでだんだんに進んで行くところまで行ったら意外な面白いところに到達する可能性があるかもしれない。

 中川|紀元《きげん》氏の今年の裸体は去年のほどおぞましく恐ろしくはない。わざとらしさが少しけ抜けたせいか、それとも此方《こちら》の眼が少し教育されて来たせいかもしれない。しかしこういう絵には、そういつまでも同じようなものを描き続け得られないだろうと思わせるある物がある。

 院展もちょっと覗いてみた。
 近藤|浩一路《こういちろう》氏は近年「光」の画を描く事を研究しているように見える。ただそれを研究しているという事が何より先に感ぜられるので、楽しんで見るだけのゆとりが自分には出て来ない。
 大観《たいかん》氏の四枚の絵は自分には裾模様でも見るようで、絵としての感興が沸いて来ない。氏はいつでも頭で絵を描いているのを多とするが、しかし頭と心臓と両方が出ないと
前へ 次へ
全6ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
寺田 寅彦 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング