》をつけて夜の町を駆けまわり、また時々は南磧《みなみがわら》で繩奪《なわうば》い旗奪いの競技が行なわれた。ある時はある社の若者が申し合わせて一同頭をクリクリ坊主にそり落として市中を練り歩いたこともあった。
 宅《うち》の長屋に重兵衛《じゅうべえ》さんの家族がいてその長男の楠《くす》さんというのが裁判所の書記をつとめていた。その人から英語を教わった。ウィルソンかだれかの読本を教わっていたが、楠さんはたぶん奨励の目的で将来の教案を立てて見せてくれた。パーレー万国史、クヮッケンボス文典などという書名を連ねた紙片に過ぎなかったが、それが恐ろしく幼い野心を燃え立たせた。いよいよパーレーを買いに行ったとき本屋の番頭に「たいそうお進みでございますねえ」といわれてひどくうれしがったものである。その時の幼稚な虚栄心の満足が自分の将来の道を決定するいろいろな因子の中の一つになったかもしれないという気がする。この楠さんはまたゲーテの「狐《きつね》の裁判」の翻訳書を貸してくれた人である。「漢楚軍談《かんそぐんだん》」「三国志《さんごくし》」「真田三代記《さなださんだいき》」の愛読者であったところの明治二十年ご
前へ 次へ
全27ページ中10ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
寺田 寅彦 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング