になれば教育器械としてのプロフェッサーなどはだいぶ暇になることであろう。
今からでも大書店で十六ミリフィルムを売り出してもよくはないか。そうして小さな試写室を設けて客足をひくのも一案ではないかと思われるのである。近ごろ写真ばかりの本のはやるのはもうこの方向への第一歩とも見られる。
読みたい本、読まなければならない本があまり多い。みんな読むには一生がいくつあっても足りない。また、もしかみんな読んだら頭はからっぽになるであろう。頭をからっぽにする最良法は読書だからである。それで日下部《くさかべ》氏のいわゆる少なく読む、その少数の書物にどうしたらめぐり会えるか。これも親のかたきのようなもので、私の尋ねる敵《かたき》と他の人の敵とは別人であるように私の書物は私が尋ねるよりほかに道はない。
ある天才生物学者があった。山を歩いていてすべってころんで尻《しり》もちをついた拍子に、一握りの草をつかんだと思ったら、その草はいまだかつて知られざる新種であった。そういう事がたびたびあったというのである。読書の上手《じょうず》な人にもどうもこれに類した不思議なことがありそうに思われる。のんきに書店の棚《
前へ
次へ
全27ページ中23ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
寺田 寅彦 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング