と手に入れたときの喜びはおそらくそのころのわれわれ仲間の特権であったかもしれない。
当時の田舎《いなか》の本屋はいばったものであったような気がする。われわれは頭を下げて売ってもらっていたような感じがある。これは当然であったかもしれない。少なくもわれわれにとって書物は決して「商品」ではなかった。それは尊い師匠であり、なつかしい恋人であって、本屋はそれをわれわれに紹介してくれるだいじな仲介者であったわけである。
読書の選択やまた読書のしかたについて学生たちから質問を受けたことがたびたびある。これに対する自分の答えはいつも不得要領に終わるほかはなかった。いかなる人にいかなる恋をしたらいいかと聞かれるのとたいした相違はないような気がする。時にはこんな返答をすることもある。「自分でいちばん読みたいと思う本をその興味のつづく限り読む。そしていやになったら途中でもかまわず投げ出して、また次に読みたくなったものを読んだらいいでしょう」大根が食いたくなる時はきっと自分のからだが大根の中のあるヴィタミン・エッキスを要求しているのであろう。その時われわれは何も大根を食うことの必然性を証明した後でなければ
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