んも、この不良と目された不幸な青年も夭死《ようし》してとくの昔になくなったが、自分の思い出の中には二人の使徒のように頭上に光環をいただいて相並んで立っているのである。この二人は自分の幼い心に翼を取りつけてくれた恩人であった。
 楠さんの弟の亀《かめ》さんはハゴを仕掛けて鳥を捕えたり、いろいろの方法でうなぎを取ったりすることの天才であった。この亀さんから自分は自然界の神秘についていかなる書物にも書いてない多くのものを学ぶことができた。
 中学時代の初期には「椿説弓張月《ちんせつゆみはりづき》」や「八犬伝《はっけんでん》」などを読んだ。田舎《いなか》の親戚《しんせき》へ泊まっている間に「梅暦《うめごよみ》」をところどころ拾い読みした記憶がある。これらの読み物は自分の五体の細胞の一つずつに潜在していた伝統的日本人をよびさまし明るみへ引き出すに有効であった。「絵本西遊記《えほんさいゆうき》」を読んだのもそのころであったが、これはファンタジーの世界と超自然の力への憧憬《どうけい》を挑発《ちょうはつ》するものであった。そういう意味ではそのころに見た松旭斎天一《しょうきょくさいてんいち》の西洋奇術も
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