る。たとえば「礼服を着ないでサラダを出した」といったような種類のものである。
先端的なものの流行《はや》る世の中で古いものを読むのも気が変わってかえって新鮮味を感じるから不思議である。近ごろ「ダフニスとクロエ」の恋物語を読んでそういう気がするのであった。今のモボ、モガよりもはるかに先端的な恋をしているのである。アリストファーネスの「雲」を読んで学者たちが蚤《のみ》の一躍は蚤の何歩に当たるかを論ずるところなどが、今の学者とちっとも変わらない生き写しであることをおもしろいと思うのであった。「六国史《りっこくし》」を読んでいると現代に起こっていると全く同じことがただ少しばかりちがった名前の着物を着て古い昔に起こっていたことを知ってあるいは悲観しあるいは楽観するのである。だんだん読んでいると、古い事ほど新しく、いちばん古いことが結局いちばん新しいような気がして来るのも、不思議である。古典が続々新版になる一方では新思想ものが露店からくずかごに移されて行くのも不思議である。
それにしても日々に増して行く書籍の将来はどうなるであろうか。毎日の新聞広告だけから推算しても一年間に現われる書物の数は数千あるいは万をもって数えるであろう。そうしてその増加率は年とともに増すとすれば遠からず地殻《ちかく》は書物の荷重に堪えかねて破壊し、大地震を起こして復讐《ふくしゅう》を企てるかもしれない。そういう際にはセリュローズばかりでできた書籍は哀れな末路を遂げて、かえって石に刻した楔形文字《くさびがたもじ》が生き残るかもしれない。そうでなくとも、また暴虐な征服者の一炬《いっきょ》によって灰にならなくとも、自然の誤りなき化学作用はいつかは確実に現在の書物のセリュローズをぼろぼろに分解してしまうであろう。
十年来むし込んでおいた和本を取り出してみたら全部が虫のコロニーとなって無数のトンネルが三次元的に貫通していた。はたき集めた虫を庭へほうり出すとすずめが来て食ってしまった。書物を読んで利口になるものなら、このすずめもさだめて利口なすずめになったことであろう。
[#地から3字上げ](昭和七年一月、東京日日新聞)
底本:「寺田寅彦随筆集 第三巻」小宮豊隆編、岩波文庫、岩波書店
1948(昭和23)年5月15日第1刷発行
1963(昭和38)年4月16日第20刷改版発行
1997
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