現象ではないかという気がする。このような特異の現象の生ずるにはそれだけの特異な理由がなければならない。また、こうなるまでには、こうなって来た歴史があるであろうが、それは自分にはわからない。
しかしこの現象から、日本人は世界じゅうで最もはなはだしく書籍を尊重し愛好する国民であるということを推論することはできない。なんとなれば、この現象からむしろ反対の結論に近いものを抽出することも不可能ではないからである。すなわち、もしもすべての人が絶対必要として争って購買するものならば何も高い広告料を払って大新聞の第一ページの大半を占有する必要は少しもないであろう。反対に広告などはいっさいせずに秘密にしておいても、人々はそれからそれと聞き伝えて、どうかして一本を手に入れたいと思う人がおのずから門前に市をなすことあたかも職業紹介所の門前のごとくなるであろう。
商品の新聞広告で最も広大な面積を占有するものは書籍と化粧品と売薬である。この簡単|明瞭《めいりょう》なる一つの事実は何を意味するか。これはこの三つのものが、商品としての本質上ある共通な性質をもっていることを示すものと考えられる。
その第一の共通点は、内容類似の品が多数であって、従って市場における競争のはげしいということである。もしもそれらのある商品の内容が他の類品に比べて著しく優秀であって、そうして、その優秀なことが顧客に一目ですぐわかるのであったら、広告の意義と効能は消滅するであろう。しかるに化粧品や売薬の類は実際使いくらべてみた当人にも優劣の確かな認識はできない。評判のいいほうがなんとなくいいように思われるくらいのものである。書籍の場合はまさかにそれほどではないとしても、大多数の読書界の各員が最高の批判能力をもっていない限り、やはり評判の高いほうを選む。そうして評判は広告と宣伝によって高まるとすれば、書籍の生産者が売薬化粧品商と同一の手段を選ぶのは当然のことであって、これをとがめるのは無理であろう。ただ現在日本で特にこの現象の目立つのは、思うにそれぞれの方面において書籍の価値批評をする権威あり信用ある機関が欠乏しているためか、あるいはそういうものがあっても、多数の人がそれに重きを置かずして、かえってやはり新聞広告の坪数で価値を判断するような習慣に養成され、そうしてあえてみずから疑ってみる暇《いとま》がないためであるかもし
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