前の二羽に何か交渉しているらしく見える。けんかが始まる。一羽が逃げ出して上へ上へと階段を登って行く。二段ずつ飛ぶこともあり五六段ずつ飛び上がるときもある。地上七十余尺の頂上まで上ってしばらく四方を展望していると思うと、突然石でも落とすようにダイヴするが途中から急に横にそれて、直角双曲線を空中に描きながらどこかの庭木へ飛んで行く。しばらくするとまた煙突の梯子《はしご》へもどって来てそうして同じ遊戯を繰り返す。見ていてもなんだかおもしろそうである。しかしなんのためにすずめがこんな遊戯をしているか、考えてみると不思議である。
 梯子の中段で時々二羽のすずめの争闘が起こる。第三のすずめがこれに参加することもある。これはどうもただのけんかではなくて、やっぱり彼らの種族を増殖するための重大な仕事に関係した角逐《かくちく》の闘技であるらしく思われる。
 あまりに突飛な考えではあるが、人間のいろいろなスポーツの起原を遠い遠い灰色の昔までたどって行ったら、事によるとそれがやはりわれわれの種族の増殖の営みとなんらかの点でつながっていたのではないかという気がしてくるのである。

       六

 電車に乗って空席を捜す。二人の間にやっと自分の腰かけられるだけの空間を見つけて腰をおろす。そういう場合隣席の人が少しばかり身動きをしてくれると、自然に相互のからだがなじみ合い折り合って楽になる。しかし人によると妙にしゃちこばって土偶《どぐう》か木像のように硬直して動かないのがある。
 こういう人はたぶん出世のできない人であろうと思う。
 もっとも、こういう人が世の中に一人もなくなってしまったら、世の中にけんかというものもなくなり、国と国との間に戦争というものもなくなってしまうかもしれない。そうなるとこの世の中があまりにさびしいつまらないものになってしまうかもそれはわからない。
 こういう人も使い道によっては世の中の役に立つ。たとえば石垣《いしがき》のような役目に適する。もっとも石垣というものは存外くずれやすいものだということは承知しておく必要がある。

       七

 むかでの歩くのを見ていると、あのたくさんの足が実に整然とした運動をしている。一種の疎密波が身長に沿うて虫の速度よりは早い速度で進行する。
 もしか自分がむかでになってあれだけのたくさんな足を一つ一つ意識的に動かして、あのような歩行をしなければならないとしたら実にたいへんである。思ってみるだけでも気が狂いそうである。
 しかしよく考えてみると人間の一挙手一投足にも、実はむかでの足の神経などに比べて到底比較のできないほど多数の神経細胞が働いているであろう。そんなことは夢にも考えないでむかでの足を驚嘆しながら万年筆をあやつってこんなことを書くという驚くべき動作をなんの気もなく遂行しているのである。

       八

 軍隊用のラッパの音は勇ましい音の標本になっているようである。なるほど自分の面前の近距離で吹き立てられるとかなり勇ましく、やかましいくらい勇ましい。しかし木枯らし吹く夕暮れなどに遠くから風に送られて来るラッパの声は妙に哀愁をおびて聞こえるものである。
 勇ましいということの裏には本来いつでも哀れなさびしさが伴なっているのではないかという気がする。

       九

 東郷《とうごう》大将《たいしょう》の若い時の写真を見ると、実に立派でしかも明るく朗らかな表情をしたのがある。ジョン・バリモアーなどにもちょっと似ているのがある。しかし晩年のいわゆる「東郷さん」になってからの写真にはどれにもこれにもみんなどこか迷惑そうな窮屈そうな表情がただよっているような気がする。
 世人は自分勝手に自分らの東郷さんの鋳型をこしらえて、そうして理が非でもその型にはまることを要求した。寛容な東郷大将はそうした大衆の期待を裏切って失望させては気の毒だと思って、かなりそのために気をつかっておられたのではないかという気もする。これは豚の心で象の心持ちを推し量るようなものかもしれないが、もしこの推量が当たっていると仮定したら、大衆は自分たちのわがままで東郷さんのほんとうのえらさを封じ込めてしまったということになるかもしれない。

       十

 神保町《じんぼうちょう》交差点で珍しい乗り物を見た。一種の三輪自転車であるが、普通の三輪車と反対に二輪が前方にあってその上に椅子形《いすがた》の座席が乗っかっている。その後方に一輪車が取り付けられ、そうして三つの輪の中央のサドルに腰をかけた人がペダルを踏んで推進する仕掛けになっている。座席に腰かけた人の右手にハンドルがあってそれをぐるぐる回すとチェーンギアーで車台の下のほうの仕掛けがどうにかなるようにできているらしい。たぶん座乗者が勝手に進行の方向を変
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