。するとたちまちどこからとなく砂が港口に押し寄せて来て始末がつかなくなった。
故工学博士|広井勇《ひろいいさむ》氏が大学紀要に出した論文の中にこのときの知事のことを“a governor less wise than Kenzan”としてあったように記憶する。実に巧妙な措辞《そじ》であると思う。この知事のような為政者は今でも捜せばいくらでも見つかりそうな気がするのである。
少なくも、むやみに扁桃腺《へんとうせん》を抜きたがる医者は今でもいくらもいるであろう。
十八
近年の統計によると警視庁管内における自殺者の数が著しく増加し、大正十一年と昭和八年とでは管内人口の増加が約六割であるのに対して自殺既遂者の数は二十割、未遂者の数は四十割に増加しているとの事である。ある新聞の社説にこの事実をあげてその原因について考察し為政当局者の反省を促している。誠に注目すべき文字である。
しかし多くの人の見るところによれば、自殺の増加の幾割かはたしかに新聞の暗示的、ないし挑発的記事の影響に因るものであろうと思われるが、右の新聞の社説にはこのことについては一言も触れてない。触れないのは当然であろうがちょっとおかしい。
「自殺の報道記事は十行を越ゆべからず」という取締規則でも設けたら、それだけでも自殺者の数が二割や三割は減るのではないかという気がする。試験的に二三年だけでもそういう規則を遂行して後に再び統計を取ってほしいものである。
十九
入水者《じゅすいしゃ》はきっと草履《ぞうり》や下駄《げた》をきれいに脱ぎそろえてから投身する。噴火口に飛び込むのでもリュックサックをおろしたり靴《くつ》を脱いだり上着をとったりしてかかるのが多いようである。どうせ死ぬために投身するならどちらでも同じではないかという気もするが、何かしら、そうしなければならない深刻な理由があると見える。
この世の覊絆《きはん》と濁穢《じょくえ》を脱ぎ捨てるという心持ちもいくぶんあるかと思われる。また一方では捨てようとして捨て切れない現世への未練の糸の端をこれらの遺物につなぎ留めるような心持ちもあるかもしれない。
なるべく新聞に出るような死に方を選ぶ人の心持ちは、やはりこのはき物や上着を脱ぎそろえる心持ちの延長ではないかとも思われるのである。
結局はやはり「生きたい」のである。生きるための最後の手段が死だという錯覚に襲われるものと見える。自殺流行の一つの原因としては、やはり宗教の没落も数えられるかもしれない。
[#地から3字上げ](昭和九年九月、中央公論)
底本:「寺田寅彦随筆集 第四巻」小宮豊隆編、岩波文庫、岩波書店
1948(昭和23)年5月15日第1刷発行
1963(昭和38)年5月16日第20刷改版発行
1997(平成9)年6月13日第65刷発行
入力:(株)モモ
校正:かとうかおり
2003年4月9日作成
青空文庫作成ファイル:
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