屋根を入れたスケッチを始めた。
すぐ眼の前の道路を通行する人は多いが、一人も私の絵など覗《のぞ》きに来るものはない。おそらくこの辺では私のような素人《しろうと》絵かきはあまりに珍しくなさ過ぎるのかもしれない。
そのうちに一人物腰などからかなりの老人らしく思われるのがやって来て、私の右にしゃがんでしばらく黙って見ていたが、やがてこんな問答がはじまった。
「しょうべえに描くのですか、娯楽のために描くのですか。」
「養生のためにやっています。」
「肖像などは、あれはずいぶんかかるものでしょうね。」
「さあ。一時間でも二十日でも、切りはありますまいね。」
「小さいのよりも、やっぱり大きい絵の方が、何だか知らねえが、ねうちがあるような気がするね。」
「そうですかね。」
どんな人であったか、つい一度もその人の方を振向いて見なかったから分らない。
電車や汽車が度々すぐうしろを通った。汽車が通ると地盤のはげしく振動するのが坐っている私のからだには特にひどく感ぜられた。
描いているうちにふいと妙な考えが浮んで来た。それは地震の波が地殻を伝播《でんぱ》する時に、陸地を通る時と海底を通る時とでその速度に少しの相違がある、そういう事実を説明すべき一つの理論の糸口のようなものであった。
とにかく一生懸命で絵を描いている途中でどうしてこんな考えが浮き上がって来たものか、自分でも到底分らない。
どうも自分というものが二人居て、絵を描いている自分のところへ、ひょっくりもう一人の自分が通りかかって、ちょうどさっきの老人のように話をしかけたのだという気がする。そうだとすると、まだ自分の知らない自分がどこかを歩いていていつひょっくり出くわすか分らないような気がする。
こんな他愛もない事を考えてみたりした。
三
眼を煩《わず》らって入院している人に何か適当な見舞の品はないかと考えてみた。両眼に繃帯をしているのだから、視覚に訴えるものは慰みにはならない。
しかし例えば香の好い花などはどんなものだろうと思った。
花屋の店先に立って色様々の美しい花を見ているうちにこんな事を考えた。
これほど美しいものを視る事の出来ない人に、香だけ嗅がせるのはあまりに残忍な所行である。
そう思ったので、つい花屋を通り過ぎてしまった。[#地から1字上げ](大正十一年八月『明星』)
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