せきじん》」などからも何事かを教えられた。まだ外にも数えてみれば存外あるかもしれない。しかし例えば神代や仏教を題材にとったのや武将や詩人を題にしたので失望しなかった例は思い出せない。今の人間には崇高や壮大と名づけられる種類の美は何らかの障礙《しょうがい》のために拒まれているのだろうか。

 日本画部から受けた灰色の合成的印象をもって洋画部へはいって行くと、冬枯れの野から温室の熱帯樹林へはいって行くような気持がするのは私ばかりではあるまい。製作のミリウ〔milieu 環境〕がちがうとは云え、培養された風土民俗が違うとは云ってもあまりに著しい相違である。同じような原始的芸術から進化する途中に偶然分れた二つ道が幾千年の後に再びここに相会してお互いに驚き合っているような気もする。ソマトーゼを服用した人としなかった人が十年振りで逢ったようなところもあると、誰かが云った。
 このような差違の生じた原因の進化論的考究や、両者の美学的価値の比較をここで並べようとは思わない。そういう六《むつ》かしい問題は別として、現在日本の画界における両《ふた》つの分派の作品を対照した時に感ずるあるデリケートな差別の裏面には、両派の画家の本来の素質のみならず、画家の日常生活における精神的栄養の摂取し方の差違が隠れているのではないかと疑われる。無論個人個人についてではなくただ平均《アヴェレージ》の上でそうでないかと思われるだけである。しかしこれはただそう思われるだけの事である。
 帝展の洋画については私はあまり取りたてて云うほどの変った考えを持ち合せない。それだけ私は全体として一種の軽い満足を感じているのかもしれない。大概の絵からはある程度の真面目さがうかがわれ、ある程度の同情が誘発される。日本画部では好きなのが除外例《エキセプション》であるのに反して洋画部では悪い方のが特に眼につく。これは私固有の趣味から生じる差別かもしれないがどうする事も出来ない。
 ただ不思議に思われるのは、今でもあの単に道徳上の功利的価値だけを目標とした歴史画や、最もバナールな〔banal 陳腐な〕題材を最もバナールな技巧で表現したというだけの無遠慮に大きな田園風俗画などや、一昔前の臨画帖《りんがちょう》から取り出したような水彩画などが保存されている事である。
 そうかと云って一概に私は※[#「口+齒」、第3水準1−15−26]んだら歯の欠けそうな林檎《りんご》や、切ったら血のかわりに粘土の出そうな裸体や、夕闇に化けて出そうな樹木や、こういったもの自身[#「自身」に傍点]に対して特別な共鳴を感ずる訳ではない。しかし、もう少しどうにかならないものかと思う時に私の心は自然に作家の胸に接近して行く。そして行手の闇の中にまたたく希望の灯影《ほかげ》といったようなものを作家とともに認めてささやき合うような気がする。
 明るく鮮やかであった白馬会時代を回想してみると、近年の洋画界の一面に妙に陰惨などす黒いしかもその中に一種の美しさをもったものの影が拡がって来るのを覚えるのは私ばかりではあるまい。古いドイツやスペインあたりを思わせるような空気が、最も新しい西欧芸術の香と混合してそこに一種のグロテスクに近いものが生れている。同じ事はある派の日本画についても云われる。
 ロシアのバレー作家のマッシンがある人の問に答えて、「見玉え。今の世界の大立者《おおだてもの》と云えばみんなグロテスクではないか。例えばカイゼルでもチャップリンでも……」と云ったそうである。それはとにかく、グロテスク美術が自然や文明の脅威から生れるものとすれば、あらゆる意味で不安な現代日本で産み出される絵画がこういう傾向をとる事は怪しむに足らないかもしれない。今の人間が鉄と電気の文明から受ける脅威は、未開時代の蛮民が自然から受けたものに比べて「量」においても優るとも劣らぬばかりでなく「質」においても更に怖ろしいものではあるまいか。
 こういう芸術上のグロテスクな傾向が、循環的に吾々の倫理思想や人生観に与える反応はどんなものであろうか。これもその方面の人々の深く考えてみるべき問題の一つではあるまいか。

 彫刻部に関する私の心像は空虚である。ただ意味のありそうな表題と作物との関係を考えさせられるだけである。これは多分私が彫刻を全然理解しないためであろう。私には古いギリシアか仏像以外のものは分らない。ロダンでさえ分らないくらいである。それで帝展の彫刻から受取るものの総和はむしろやはり一種の怪奇の感だけである。
 ここまで書いた時に私はふとあの有名な西郷の銅像や広瀬中佐の群像を想い出した。それと同時に、いつかスイスで某将軍の銅像を真赤に塗りつぶして捕えられ罰金を課せられた英国の学生の話を想い出した。……しかしこれは帝展とは何の関係もない事である。
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