何時の世のどの展覧会にでも通用する批評である。先ず普通は眼前の作品を与えられた具体的の被与件《データ》として肯定してから相対的の批評で市が栄えるとしたものであろう。
 芸術の技巧に関する伝統が尊重された時代には、芸術の批評権といったようなものは主に芸術家自身か、さもなくば博学な美術考証家の手に保存されて、吾々素人は何か云いたくなる腹の虫を叱り付けていなければならなかった。ところが何時の間にか伝統の縄張りが朽ちて跡方もなくなって、普通選挙の広い野原が解放されてしまった。これはいい事だか悪い事だか見当が付かないが、ともかくもどうする事も出来ない事実である。
 そうなると、批評というものの意味はもう昔とは大分違ったものになってしまう。民衆批評家は作品の客観的価値よりはむしろ自分の眼の批評をするのであり自分の要求を自白する、だから、自分さえ構わなければ何を云っても構わないと同時に、被批評者は何を云われても別に自分の信条に衝動を感じる必要はないかもしれない。
 そういう民衆批評家の一人として何か云う前に自分の芸術観を内省してみた。
 その内省の結果をここに告白しようとは思わないが、ただこれだけ云っておきたいと思う事がある。
 絵画が或《あ》る有限の距離に有限な「完成」の目標を認めて進んでいた時代はもう過ぎ去ったと私は思う。今の絵画の標的は無限の距離に退いてしまった。無限に対しては一里も千里も価値は大して変らない。このような時代に当って「完成の度」に代って作品の価値を定めるものは何であろう。それは譬《たと》えて云わば、無限に向かって進んで行く光の「強度《インテンシチー》」のようなものではあるまいか。無限の空間に運動している物の「運動量《モーメンタム》」のようなものではあるまいか。
 こういう立場から見た時にセザンヌやゴーホの価値が私には始めて明らかになると同時に、支那や日本の古来の名画までも今までとちがった光の下に新しく生きて来るような気がする。
 こういう眼で見た帝展の日本画はどうであろう。美術院の絵画はどうであろう。完成を標準として見た時にあら[#「あら」に傍点]の少ない絵はやはり大家の作に多いが、「強度」の大きい絵が却って割合に無名の若い作者のに多いという事はおそらく大多数の人の認めるところであろう。前者の例は差控える事にして、後者の例を試みに昨年の帝展から取ってみると、
前へ 次へ
全9ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
寺田 寅彦 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング