追憶の医師達
寺田寅彦
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)朧気《おぼろげ》な追憶の霧の中に
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)記念すべき諸|国手《こくしゅ》の面影も
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)「脳膜※[#「火+欣」、第3水準1−87−48]衝《のうまくきんしょう》
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子供の時分に世話になった医師が幾人かあった。それがもうみんなとうの昔に故人になったしまって、それらの記念すべき諸|国手《こくしゅ》の面影も今ではもう朧気《おぼろげ》な追憶の霧の中に消えかかっている。
小学時代にかかりつけの家庭医は岡村先生という当時でももう相当な老人であった。頭髪は昔の徳川時代の医者のような総髪を、絵にある由井正雪《ゆいしょうせつ》のようにオールバックに後方へなで下ろしていた。いつも黒紋付に、歩くときゅうきゅう音のする仙台平《せんだいひら》の袴姿であったが、この人は人の家の玄関を案内を乞わずに黙っていきなりつかつか這入《はい》って来るというちょっと変った習慣の持主であった。
いつか熱が出て床《とこ》に就いて、誰も居ない部屋にただ一人で寝ていたとき、何かしら独り言を云っていた。ふと気が付いて見るといつの間に這入って来たか枕元に端然とこの岡村先生が坐っていたので、吃驚《びっくり》してしまって、そうして今の独語を聞かれたのではないかと思って、ひどく恥ずかしい思いをした。しかし何を言っていたかは今少しも覚えていない。ただ恥ずかしかった事だけはっきり想い出すのである。もちろん云っていた事柄が恥ずかしかった訳ではなくて独語を云っていた事が恥ずかしかったのである。
五、六歳の頃好きな赤飯を喰い過ぎて腹をこわした結果「脳膜※[#「火+欣」、第3水準1−87−48]衝《のうまくきんしょう》」という病気になって一時は生命を気遣《きづか》われたが、この岡村先生のおかげで治ったそうである。たぶん今云う疫痢《えきり》であったろうと思われる。死ぬか、馬鹿になるか、と思われたそうであるが、幸いに死なずにすんでその代り少し馬鹿になったために、力に合わぬ物理学などに志して生涯恥をかくようになったのかもしれない。とにかく命を助かったのはこの岡村先生の
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