られなかった大兵肥満の豪傑が一方の代表者で、これに対する反対に気の強い方の例として挙げられたのは六十余歳の老婆であった。舌癌《ぜつがん》で舌の右だか左だかの半分を剪断《せんだん》するというので、麻酔をかけようとしたら、そんなものは要らないと云ってどうしても聞かない。それで麻酔なしでこの出血のはなはだしし手術を遂行したが、おしまいまでいっこうに平気で苦痛の顔色を示さなかった。その後数ヶ月たって後にまた残りの半分の舌がいけなくなった。今度は麻酔をかけようかと云ったら、やはり承知しないのでまた素面《しらふ》で手術を受けてとうとう完全な舌切婆さんになったということであった。その後がどうなったかは聞かなかったような気がする。
その頃、自分の家ではあまりかからなかったが、親類で始終頼んでいた横山先生という面白い医者があった。畸人《きじん》という通称があったが、しかし難儀な病気の診断が上手だと云う評判であった。ある時山奥のまた山奥から出て来た病人でどの医者にも診断のつかない不思議な難病の携帯者があった。横山先生のところへ連れて行くと、先生は一目見ただけで、これはじきに直る、毎日上白米を何合ずつ焚いて喰わせろと云った。その処方通りにしたら数日にしてこの厄介な奇病もけろりと全快した、というのである。この患者は生れてその日までまだ米の飯というものを喰ったことがなかったという話であった。
小松の若先生でも楠先生でも、もし無事だったらまだ生きておられてもいい年輩であったが、二人とも壮年で亡くなられた。そうして大人になるまで生きるかどうかと気遣われた自分が、これらの先生方のおかげでどうにか生き延びて、そうしてこれらの人達よりも永生きをしているわけである。[#地から1字上げ](昭和十年一月『実験治療』)
底本:「寺田寅彦全集 第一巻」岩波書店
1996(平成8)年12月5日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:Nana ohbe
校正:松永正敏
2004年3月24日作成
青空文庫作成ファイル:
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