意していた。その作品がどれほど自分の嗜好からは厭《いや》なと思うものでも、またあまりに生硬と思うものでも、それにかかわらず一種の愉快な心持をもって熟視する事が出来た。毎年の文展や院展を見に行ってもこういう自分のいわゆる外道的鑑賞眼を喜ばすものは極めて稀《まれ》であった。多くの絵は自分の眼にはただ一種の空虚な複製品としか思われなかった。少なくも画家の頭脳の中にしまってある取って置きの粉本《ふんぼん》をそのまま紙布の上に投影してその上を機械的に筆で塗って行ったものとしか思われなかった。ペンキ屋が看板の文字を書くようにそれはどこから筆を起してどういう方向に運んで行っても没交渉なもののように見えた。たまには複製でない本当の原本《オリジナル》と思われる絵を見出して愉快を感じる事もあったが、ややもすればその独創的な点がもうそろそろ一種の安心したような、これでいいといったようなおさまり方に変化するのを認めて失望した。どうかしてもう少し迷っている画家のおさまらぬ作品に接したいと希望していた。そうして偶然に逢着したのが津田君であった。
 洋画家並びに図案家としての津田君は既に世間に知られている。しかし自
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