すれば自分がここにあえてこの一篇を公にするのも強《あなが》ち無意味ではないかもしれない。例えば山出しの批評も時には三越意匠部の人の参考になるかもしれず、生蕃人《せいばんじん》の東京観も取りようでは深刻な文明批評とも聞える事があるかもしれない。
 この稿を起したもう一つの理由は、友人としての津田君の隠れた芸術をいくぶんでも世間に紹介したいという|私の動機《プライヴェートモーチヴ》からである。これも一応最初に断っておいた方がよいかと思う。
 津田君は先達て催した作画展覧会の目録の序で自白しているように「技巧一点張主義を廃し新なる眼を開いて自然を見直し無技巧無細工の自然描写に還り」たいという考えをもっている人である。作画に対する根本の出発点が既にこういうところにあるとすれば津田君の画を論ずるに伝説的の技巧や手法を盾に取ってするのはそもそも見当違いな事である。小笠原流の礼法を標準としてロシアの百姓《ムジーク》の動作を批評するようなものかもしれない。あるいはむしろ自分のような純粋な素人《しろうと》の評の方が却《かえ》って適切であり得るかもしれない。一体津田君の主張するように常に新たな眼で自然を見
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