いている時の様子の真剣なのに驚かされた。下絵を描いている時など、まるで剣術の試合でも見るような感じがあった。だんだん仕上げにかかっては、その微細な観察とデリケートな絵具の使い方に驚かされた。吾々の方で非常に精密な器械の調節でもしているのと似たような際どい細かさがあった。これでは絵をかくのも大変な事であると思われた。いつか道灌山《どうかんやま》へ夏目先生と二人で散歩に行った時、そこの崖の上で下の平野を写生していた素人絵かきがあった。その絵があんまりのんきで、その描き方があんまり気楽なので、思わず二人で笑ってしまった事があるが、同じ油絵をかくのでも、人によってこんなにもちがうものかと思った。
右の手の方はすらすらと無事に出来たが、計算尺を持った左の手がどうしても思うようにならなくて、これに大分時間をかけたようであった。
いつであったか、その日の仕事を切り上げて、田中舘先生の門を出て帰っていく中村氏に偶然出逢った事がある。その時の氏の姿が今ありあり思い出される。洋服の上に汚れた白の上っぱりを着たままで、肩から絵具箱をかけ、片手にも画架か何かを持っていた。そして如何にも疲れ切って大儀なから
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