塵埃と光
寺田寅彦

−−
【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)塵埃《じんあい》を見て

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#ここから1字下げ]
−−

 昔ギリシアの哲学者ルクレチウスは窓からさしこむ日光の中に踊る塵埃《じんあい》を見て、分子説の元祖になったと伝えられている。このような微塵《みじん》は通例有機質の繊維や鉱物質の土砂の破片から成り立っている。比重は無論空気に比べて著しく大きいが、その体積に対して面積が割合に大きいために、空気の摩擦の力が重力の大部分を消却し、その上到るところに渦のような気流があるために永く空中に浮游しうるのである。その外に煙突の煙からは煤《すす》に混じて金属の微粒も出る、火山の噴出物もまた色々の塵《ちり》を供給する。その上に地球以外から飛来する隕石《いんせき》の粉のようなものが、いわゆる宇宙塵《コスミックダスト》として浮游《ふゆう》している。
 このような塵に太陽から来る光波が当れば、波のエネルギーの一部は直線的の進行を遮られて、横の方に散らされる。丁度池の面に起った波の環が杭《くい》のようなものにあたったとき、そこから第二次の波が起ると同じ訳である。それがために、塵は光の進行を妨げると同時にそれを他の方面に分配する役目をする。塵を含んだ空気を隔てて遠方の景色を見る時に、遠いものほどその物から来る光が減少して、その代りに途中の塵から散らされて来る空の光の割合が多くなるから、目的物がぼんやりする訳である。
 池の面の波紋でも実験されるように、波の長さが障碍物《しょうがいぶつ》の大きさに対して割合に小さいほど、横に散らされる波のエネルギーの割合が増す。従って白色光を組成する各種の波のうちでも青や紫の波が赤や黄の波よりも多く散らされる。それで塵の層を通過して来た白光には、青紫色が欠乏して赤味を帯び、その代りに投射光の進む方向と直角に近い方向には、青味がかった色の光が勝つ道理である。遠山の碧《あお》い色や夕陽の色も、一部はこれで説明される。煙草《たばこ》の煙を暗い背景にあてて見た時に、青味を帯びて見えるのも同様な理由によると考えられる。
 このように、光の色を遮り分ける作用は、塵の粒が光の波の長さに対して、あまり大きくなればもう感じられなくなる。それで、遠景の碧味がかった色を生ずるような塵はよほ
次へ
全3ページ中1ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
寺田 寅彦 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング