は別に実験を要するわけである。
とにかく、これは一つの可能性を暗示するだけで実際はどうだかわからない。
もう一つの可能性がある。前記の浴室より、もう少し左上に当たる崖《がけ》の上に貸し別荘があって、その明け放した座敷の電燈が急に点火するときにそれをこっちのベランダで見ると、時によっては、一道の光帯が有限な速度で横に流出するように見えることがある。これはたぶんまつ毛のためやまた眼球光学系の溷濁《こんだく》のために生ずるものかと思われる。それで、事によると「火の玉」の正体がこれであったかもしれないとも思われる。しかしこれだとすると、たいていは光芒《こうぼう》射出といったようなふうに見えるのであって、どうも「火の玉」らしく見えそうもないと思われる。
そうかと言って、浴室の天井の電燈が一時消えていたというのは単なる想像であって実証をたしかめたわけでもなんでもないから、結局この問題の現象はなんだかわからないということに帰着するのであるが、しかしこの出来事の上記の考察から示唆された一つの実験的研究を、ほんとうに実行してみることはそうむだではあるまいかと思われる。たとえば、暗室の一点に被実験者をすわらせておいて、室のいろいろな場所のいろいろの高さにいろいろな長さや幅で、いろいろの強度と色彩をもった光帯を出現させ、そうしてそれに対する被実験者の感覚を忠実に記録してみたら存外おもしろいかもしれないと思われるのである。
伊豆《いず》地震の時に各地で目撃された「地震の光」の実例でも、一方から他方へ光が流れたというような記録がかなりたくさんにあったが、これらもやはり前記の生理的効果で実験はほとんど瞬間的に出現した光帯を、錯覚でそういうふうに感じるのではないかと疑われるのである。とにかくそういうこともあるくらいだから、だれか生理光学に興味をもつ生理学者のうちにこの問題を取り上げてまじめに研究してみようという人があったらたいへんにありがたいと思うので、それでわざわざ本紙のこの欄をかりてこのような夢のような愚見を述べてみた次第である。それでこの一編はもちろん学術的論文でもなんでもなくて、ただの随筆に過ぎないのであるが、だれかがこの中からちゃんとした論文の種を拾い上げ培養して花を咲かせるという事についてはなんの妨げもないであろう。
それはとにかく、われわれの子供の時分には、火の玉、人魂《
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