ない。それにしてもほんとうによい美しいすぐれた花なら、少なくもそういう花を捜して歩いている人の目にいつかは触れないものだろうか。危険を冒して懸崖《けんがい》にエーデルワイスを捜す人もある。昼|提灯《ちょうちん》をさげて人を捜した男もあったのである。
 しかしこれはあまりに消極的な考えかもしれない。自分はここでそういう古い消極的な独善主義を宣伝しようというのではない。また自然の野山に黙って咲く草木の花のように、ありとあらゆる美しい事、善《よ》い事が併立して行かれないからと言って、そのためにこの世をはかなんで遁世《とんせい》の志をいだくというわけでもない。
 宣伝が理想的に行なわれて天下を風靡《ふうび》する心配がないからこそ世に宣伝という事がいつまでも行なわれている。宣伝の必要のあるというのは、つまりその事がらがどこか偏頗《へんぱ》であり、どこか無理がある事を証明するのだとすれば、結局宣伝というものは別に恐ろしいものでもなんでもなくなるわけである。むしろ適当な程度の宣伝が各方面からせり上げてそのすべての合力《レザルタント》によって世の中が都合よく正当な軌道を運転して行くのかもしれない。あるいは実際多くの宣伝者自身がこれぐらいの心持ちでめいめいの宣伝をやっているのかもしれない。そうだとすれば始めから問題はなくなる。これまで自分の考えたようないろいろの心配などは畢竟誇大妄想病者《ひっきょうこだいもうそうびょうしゃ》の空中に描く幻影のようなものかもしれない。しかしはたしてそうであれば、現在行なわれているいろいろの宣伝がもう少しちがった色彩を帯びてもいいわけではあるまいか。

 電車の中で考えたのは、あらましこんな事であったように思う。
 とにかく結論としては何も得られなかった。
 その後二三日してまた駿河台下《するがだいした》を歩いた。その時には正午過ぎの「太陽」の強い光がくまなく降りそそいでいた。例の屋根の上に例の仁丹《じんたん》の広告がすすけよごれて見すぼらしく立っていた。白日のもとに見るとあれはいかにも手持ちぶさたな間の抜けたものである。
 あらゆる宣伝を手持ちぶさたにする「太陽」のようなものがもし何かあるとしたら、それはどういうものであろう。こんな事を考えながらぶらぶら神保町《じんぼうちょう》の通りを歩いたのであった。[#地から2字上げ](大正十一年八月、解放)



底本:「寺田寅彦全集 第三巻」岩波書店
   1960(昭和35)年12月7日第1刷発行
初出:「解放」
   1922(大正11)年8月
入力:Cyobirin
校正:佳代子
2003年11月6日作成
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