た牧牛舎の柵の中には親牛と小牛が四、五頭、愉快そうにからだを横にゆすってはねている。自分もなんだか嬉しくなって口笛をピュッ/\と鳴らしながら飛ぶようにして帰った。
 森の絵が引出す記憶には限りがない。竪《たて》一尺横一尺五寸の粗末な額縁の中にはあらゆる幼時の美しい幻が畳み込まれていて、折にふれては画面に浮出る。現世の故郷はうつり変っても画の中に写る二十年の昔はさながらに美しい。外の記憶がうすれて来る程、森の絵の記憶は鮮やかになって来る。
 他郷に漂浪してもこの絵だけは捨てずに持って来た。額縁も古ぼけ、紙も大分|煤《すす》けたようだが、「森の絵」はいつでも新しい。[#地から1字上げ](明治四十年一月『ホトトギス』)



底本:「寺田寅彦全集 第一巻」岩波書店
   1996(平成8)年12月5日発行
入力:Nana ohbe
校正:川向直樹
2004年6月1日作成
青空文庫作成ファイル:
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