偽の程は保証の限りでない。
 雑煮の味というものが家々でみんな違っている。それぞれの家では先祖代々の仕来《しきた》りに従って親から子、子から孫とだんだんに伝えて来たリセプトに拠って調味する。それが次第次第にダイヴァージして色々な変異を生じたではないかという気がする。とにかく他家の雑煮を食うときに「我家」と「他家」というものの間に存するかっきりした距《へだ》たりを瞬間の味覚に翻訳して味わうのである。
 土佐の貧乏士族としての我家に伝わって来た雑煮の処方は、椀の底に芋一、二片と青菜|一《ひ》とつまみを入れた上に切餅一、二片を載せて鰹節《かつおぶし》のだし汁をかけ、そうして餅の上に花松魚《はながつお》を添えたものである。ところが同じ郷里の親類でも家によると切餅の代りに丸めた餅を用い汁を味噌汁にした家もあった。ある家では牡蠣《かき》を入れたのを食わされて胸が悪くて困った記憶がある。高等学校時代に熊本の下宿で食った雑煮には牛肉が這入っていた。土佐の貧乏士族の子の雑煮に対する概念を裏切るような贅沢なものであった。比較にならぬほど上等であるために却って正月の雑煮の気分が出なくて、淡い郷愁を誘われるのであった。
 東京へ出て来て汁粉屋などで食わされた雑煮は馴れないうちは清汁《すましじる》が水っぽくて、自分の頭にへばりついている我家の雑煮とは全く別種の食物としか思われなかったのである。
 去年の正月ある人に呼ばれて東京一流の料亭で御馳走になったときに味わった雑煮は粟餅に松露《しょうろ》や蓴菜《じゅんさい》や青菜《あおな》や色々のものを添えた白味噌仕立てのものであったが、これは生れてから以来食った雑煮のうちでおそらく一番上等で美味な雑煮であったろうと思われる。それだのに、それと比べて我家の原始的な雑煮が少しも負けずにうまく食われるから全く不思議なものである。
 雑煮の膳には榧実《かやのみ》、勝栗《かちぐり》、小殿原《ことのばら》を盛合わせた土器《かわらけ》の皿をつけるという旧い習慣を近年まで守って来た。小殿原はためしにしゃぶってみたことがあり、勝栗もかじってみたことがあるが榧の実ばかりは五十年間ただ眺めて来ただけである。いつか正月の朝の膳に向かったとき、一体このような見るだけで食わない肴《さかな》が何を意味するかということが家族の間で問題になったことがあった。討論の結果、これは今でこそほとんど食えないような装飾物であるが、ずっと昔これらのものが非常に珍しいうまい御馳走であった時代があったので、その時代にこれらのものが特別なとっときの珍肴《ちんこう》として持出され、そうして賞味され享楽されたものであろうという臆説が多数の承認を得たようであった。その後何年か後の正月にも前のことを忘れていてまた同じ問題を持出し、同じようなことを云ってみんなで気が付いて笑ってしまったことがある。その後正月の吉例にまたわざと同じ事を話して笑ったりしたこともあった。
 母が亡くなってから、いつとはなしに榧、勝栗、小殿原が正月の食卓の上に現われなくなった。そうして、それが現われなくなったことを誰も意識しなくなって来た。
 自分の子供等が今の自分ぐらいの年配になる頃には、ことによるともう正月に雑煮を喰うという習慣もおおかた忘れられて、そうしてその頃の年取った随筆家が「雑煮の追憶」でも一九六五年あたりの新年号に書くことになるかもしれない。そう思うと少し淋しい心持もするのである。
[#地から1字上げ](昭和十年一月『一橋新聞』)



底本:「寺田寅彦全集 第四巻」岩波書店
   1997(平成9)年3月5日発行
※「瓦斯消費量のみを考慮に人れたようなストーヴ」のうち、誤植の疑われる「人」は、「寺田寅彦全集 第九巻」岩波書店、1961(昭和36)年6月7日第1刷発行で「入」としていることを確認し、「入」としました。
入力:Nana ohbe
校正:砂場清隆
2006年1月22日作成
青空文庫作成ファイル:
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