の長い尾の尖端が水面を撫《な》でて波紋を立てて行く。それが一種の水平舵《すいへいだ》のような役目をするように見える。それにしてもこの鳥が地上に下りている時に絶えず尾を振動させるのはどういう意味だか分からない。ああやっている方が、急に飛出すときに身体の釣合をとるために好都合かとも思ってみる。実際電線に止まって落着いている時はほとんど尾を静止させている。それが飛出す前にはまた振動をはじめる。飛んで来て止まった時には最初大きく振れるが急速な減衰振動をして止めてしまう。どうもこの鳥の心の動きが尾の振動に現われるように見えるのである。
「この辺には雀がいない」と子供がいう。なるほどまだ一度も雀の顔を見ない。もしかすると鶺鴒の群がこの辺の縄張を守っていて雀の侵入者を迫害するのではないか。そんな臆説も考えられる。
 池に家鴨《あひる》がただ一羽いる。それが何だか淋しそうである。家鴨は群れている方が家鴨らしく、白鳥は一、二羽の方が白鳥らしい。
 夕方になって池の面が薄い霧のヴェールに蔽われるころになると何かしらほのかな花の匂いが一面に立ちこめる。恰度《ちょうど》月見草が一時に開くころである。咲いた月見草の花を取って嗅いでみてもそんな匂いはしない。あるいはこの花の咲く瞬間に放散する匂いではあるまいか。そんなことを話しながら宿のヴェランダで子供らと、こんな処でなければめったにする機会のないような話をするのである。
 時候は夏でも海抜九百メートル以上にはもう秋が支配している。秋は山から下りて来るという代りに、秋は空中から降りて来るともいわれるであろう。
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(追記) 本文中に峰の茶屋への途中、地表から約一メートルに黒土の薄層があって、その中に枯れた木の根があるので、古い昔の植物の埋没したものではないかという想像を書いておいた。その後同じ場所に行ってよく調べてみると、これらの樹の根には生きているのもある。これで見ると、現在生えている樹木の根が、養分の多いこの黒土層を追うて拡がっているのだということが分かる。それにしてもこの黒土層の由来はやはり前に考えたようなものであろうと思われる。
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[#地から1字上げ](昭和八年十月『週刊朝日』)




底本:「寺田寅彦全集 第四巻」岩波書店
   1997(平成9)年3月5日発行
入力:Nana ohbe

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